奇妙なワイルド・ウエストの衛生習慣

アメリカ開拓時代、ワイルド・ウェストともオールド・ウェストとも呼ばれる時代は、アメリカ中が西部の開拓に夢中になっていた時代だ。当時、開拓者にとって、西部は「未開の地」であり、無一文でもひと財産築き、まったく新しい人生を始められるという希望に満ちていた。こうした流れによって新しい生き方が生まれたのだが、これがガンマンや酒場、アメリカ先住民との抗争といった西部劇のイメージに繋がっている。未開の地での生活は気弱な人には向かず、そこでやっていける勇敢な人たちは清潔さを犠牲にしなければならなかった。それでは、実際にワイルド・ウェストでの衛生状態がどのようなものだったのか、そして現代とはどのように異なるのかについてご覧ください。

唾をはく行為が健康被害に

bar with spittoons
Pinterest/michellefaym
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オールド・ウェストでは、多くの男が噛みタバコをして唾を吐いていたが、写真を見るとお分かりのように、当時の酒場の床には唾を吐きだすための壺が並べられている。だが、男らはその壺に唾を吐きだすこともあったが、直接床に吐き出すこともあったようだ。床や壺に吐き出された唾液の上にはおがくずをかけていたのだが、これが結果として、肺炎や結核等の呼吸器疾患を引き起こす問題となっていた。

唾液が混ざったおがくずは、細菌の温床となる。酒場が旅行者に場所を貸し出すこともあり、そうした場合に多くの人が床に寝そべって休むこともあった。こうした理由のため、唾を吐きだすことは多くの場所で禁じられ、これに違反した者には罰金または懲役刑が科されていた。

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公共のベッドに寝るのも、賭けのようなもの

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Man reading with candle on his head
Print Collector/Getty Images
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アメリカ西部のベッドがすべてワラや干し草で作られていたわけではないが、多くのベッドがそうだったのも事実だ。そして、そうしたベッドがたいていの場合、清潔であるとは言えない状況で「シラミ」がはびこる結果となる。しかしながら、オールド・ウェストにはびこる虫はシラミ以外にも多く存在していた。

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うまく断熱できていない建物のつくりのために、蚊もハエもあちこちを飛び、卵を産み付けるなどして食べ物が汚染されていた。さらに、窓に網戸を入れている家も少なかったため、家の中に虫が入ってきやすかったのだ。

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石鹸はそこまで重要なものではない

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Women washing clothes with soap
Sean Sexton/Hulton Archive/Getty Images
Sean Sexton/Hulton Archive/Getty Images
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ビリー・ザ・キッドの友人、フランク・クリフォードはアメリカ西部での生活について回想録を執筆し、石鹸についてもその中で触れている。フランクはメキシコ人女性が髪を洗うのに使っていた製品を「ユッカ石鹸」と記している。ユッカという植物から作られたこの石鹸は、女性が洗髪に使うと髪を「柔らかく清潔に、かつツヤを与える」働きがあるという。

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このユッカ石鹸を使っていた人もいたが、多くの移住者は動物の油脂で作られた石鹸を使用していた。この手作り石鹸は特にザラザラとした手触りで、肌荒れを引き起こすことで知られていた。さらに当時、体臭は誰もにある当たり前のことだと考えられており、あまりにも清潔にし過ぎると、逆に細菌が入ったり、病気になったりしてしまうと恐れられていた。

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女性の肌の色は重要な要素

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Woman on top of a horse
Pinterest/ Sterling Klein
Pinterest/ Sterling Klein
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当時は、色白の肌にシミやそばかすなどのない女性が人気だった。中流階級から上流階級の女性は、肌を漂白するか、できる限り太陽を避けて室内で過ごし、白い肌を保っていた。

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外に出る機会がある場合には、帽子に手袋、長そでを必ず着用して日焼けを防いだ。残念ながら、開拓者の女性すべてがこうした贅沢をすることができたわけではなく、もちろん太陽にさらされる女性もいた。また、社会的通念に反し、カウボーイのような生活をする女性も多くいた。

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きれいな水の確保は困難

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Men sitting by puddles
VCG Wilson/Corbis via Getty Images
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ワイルド・ウェストで生きていく上で、特に移動する場合には、清潔な飲み水の確保が必要不可欠だった。しかし、水の確保は決して容易なことではなかった。たとえ飲み水を見つけたとしても、上流に小屋があったりして、水が汚染されている可能性も少なくはなかったのだ。

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また、よどんだ水にはたいてい虫が発生しているか、土足で汚されているか、または馬が飲み水として使用していたために、基本的に人の飲めるようなものではなかった。さらにタンクなど容器に集められた雨水は、短期間であれば飲めるほどきれいであるかもしれないが、時間が経つにつれ、虫などがわいたりして飲めたものではなかった。

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砂ぼこりは常に周りに

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Wagons kicking up dust
MIKE NELSON/AFP via Getty Images
MIKE NELSON/AFP via Getty Images
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ワイルド・ウェストでは、屋内外を問わず、常に砂ほこりが舞っていた。砂嵐も頻繁かつ、破壊的で、泥や汚れで街全体を厚く覆ってしまうのだった。1860年代にミズーリ州からモンタナ州あたりを旅した少女、サラ・レイモンド・ハーンドンはこう記している:

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「もう、砂ぼこり、砂ぼこり、どこに行っても砂ぼこりだらけ!こんなに酷いところは見たことがないくらい。ほぼ膝丈まで砂で埋もれてしまっているみたい。(中略)やっとたどり着いたときの男の子たちの顔といったら。顔についた土ぼこりでとってもみっともなかったわ。」もちろん、こうした大量の砂ぼこりは、深刻な呼吸器疾患を引き起こしていた。

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屋外トイレは悪夢のよう

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Two outhouses
Museum of the City of New York/Byron Co. Collection/Getty Images
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地面に掘った穴の上に建てられた粗末な小屋で用を足すのは、快適であるとはとても言えなかったようだ。茂みや森の中など、外で用を足すのに問題はなかったようだが、屋外トイレは通常母屋の近くに設置されていた。そして、排泄物を貯める穴がいっぱいになると土をかぶせ、また別の場所に掘った穴の上に小屋を移していた。

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当然のことながら、臭いによって小屋にはあらゆる種類の虫が集まり、病気にもかかりやすかったと言える。しかも当時トイレットペーパーなどなかったのだから、代わりに葉っぱや軸つきのトウモロコシ、草などが使われていた。

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シャンプーにも種類があった

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Girl washing hair
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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ラッキーな人は髪を洗うのにユッカ石鹸を使うことができたようだが、ほとんどの人、他の方法で髪を洗っていた。たとえばウイスキーは、飲む他にも、消毒用やシャンプーとして幅広く使われていた。

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ひまし油と混ぜてシャンプーとして使われ、洗い流すときには、雨水やホウ砂を溶かした水溶液が用いられていた。また、女性が髪のスタイリングをする場合には、原始的なカーラーとして鉛筆を温めて使うのも一般的だった。

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女性は男性よりも衛生的

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Women washing clothes
Oxford Science Archive/Print Collector/Getty Images
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肉体労働者やカウボーイ、兵士、その他男性は一般的に屋外で過ごすことが多く、さらには風呂に入ることなく何日も過ごすことさえあった。そして風呂に入るといっても、たいていの場合、水に入るといったようなものであり、冬の寒い期間には特に避けたい行為であった。女性は、時間も資源もあったことから、男性よりはわずかに良い衛生習慣を維持していたようだが。

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サラ・レイモンドによると、人々は、毎朝泉に行って「手や顔を水につけ、朝食テーブルに飾るための花を摘んで、居住地に戻る」というような習慣があったようだ。しかしながら、プライバシーなどはないに等しい状況であったため、それ以上のことはなかなかできなかったようだ。

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酒場では共用タオルが使われていた

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Man and bartender
Buyenlarge/Getty Images
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ワイルド・ウェストでの酒場は、今日のものとは異なり、多くの酒場にはバーカウンター用の椅子などなかった。代わりに手すりが手元と足元についており、手元にある手すりにはタオルをかけるためのフックがついていた。

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このタオルは、酒場でビールを飲む男たちの口やひげについたビールの泡を拭くのに使われた。1日に多くの男に共同で使われ、滅多に洗われることもなかったこれらのタオルには、もちろん、数え切れないほどの細菌がはびこり、病気の原因となっていた。

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男性の長髪は一般的

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Wild Bill Hickock with long hair
Archive Photos/Getty Images
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長髪は清潔に保つのが厄介だし、首の周りなどは特に暑く感じるかもしれないが、ワイルド・ウェストではこれが一般的な男性の髪型であり、有力者の中には、長く伸ばした豊かな髪を誇示する者もいた。

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しかしながら、男性は伸ばし放題に髪を伸ばしていたわけではない。街に着けば、カウボーイらは髪を少し切って整え、風呂に入り、新しい洋服を買い、ヒゲを剃っていた。19世紀に入ると、男性の間で短い髪が一般的となっていった。

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病気からは逃れられない

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Sick child
Blank Archives/Getty Images
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オールド・ウェストに暮らす多くの人々が不衛生な状態にあったため、病気が移住者らにまん延することも一般的だった。とりわけコレラは多く発生し、アメリカ先住民と移住者の両方にとって壊滅的な被害をもたらした。

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病気は至るところで見られ、病気がまったくない移住者らや居住地を見つけることなど奇跡に近かった。サラ・レイモンド・ハーンドンによると、ある居住地に到着したとき、「この居住地にはまったく病気がなく、奇跡的にも、みんなが健康的だった。これが続いたらいいのにと願う。」とある。

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スカーフの重要性

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Picture of a cowboy
Williams Gallery/Buyenlarge/Getty Images
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カウボーイの衣服で最も象徴的なものの1つに、スカーフやバンダナがある。これがなくては生きていけないと言われているほどだ。口や鼻に砂ぼこりが入らないようにしたり、首が日焼けし過ぎないようにしたり、寒さから耳を守ったり等々、様々な目的で使われていた。

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もちろん、ハリウッド映画などでは、強盗をするときにこれを使って顔を隠すのに使われている。素材は様々だったが、たいていの場合、色は赤だった。使い方は至ってシンプル。まず三角形になるように折って、端と端を首の周りで結んで使われていた。

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もじゃもじゃのヒゲと長髪からこざっぱりとした髪型へ

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Picture of Broncho Charlie Miller
The New York Historical Society/Getty Images
The New York Historical Society/Getty Images
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19世紀の後半にもなると、デンタルケア商品が普及し始める一方で、新しいヘアケア商品やヘアスタイルも見られるようになってきた。当初ワイルド・ウェストのカウボーイや男たちの格好はと言えば、一様にむさくるしいヒゲに長髪といったものだったが、こうしたヘアケア商品の普及に伴い、男たちの様相も変わっていった。

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男たちはここにきてやっと、長髪でいることが細菌の温床となり得ることに気づき始め、多くの男たちが髪をバッサリと切って、ヒゲを剃り落とし、こざっぱりとした様相になっていった。

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歯科衛生などなかった

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Dentist performing an exam
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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オールド・ウェストでは、歯ブラシや歯磨き粉等、オーラルケア用品は普及していなかった。これはつまり、多くの人が口腔内に深刻な問題を抱えていたということだ。そして、歯が問題であった場合には、たいていの場合、引っこ抜いて治療していたのだ。

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歯科医というものが一般的でなかった時代だったため、これは通常、理容師や鍛冶屋によって、または「患者」自身によって行われていた。もちろん、ウイスキーを飲んだり塗ったりする以外に痛み止めなどないに等しかったのだから、結局のところ、こうした口腔内の治療というものは恐ろしいもので、多くの人がその代償を支払った。

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カウボーイは真菌感染症に悩まされていた

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Cowboy on his horse
Buyenlarge/Getty Images
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数週間も、時には数ヶ月間も風呂に入ることなく、そして服の着替えもなく、馬に一日中乗って移動していたことから、多くのカウボーイらは恐ろしい真菌感染症を患っていた。

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こうした感染症は、股や尻、脇の下や足の辺りにその症状が見られた。酷くかゆくてピリピリする痛みを伴い、たいていの場合、汚い手や爪で掻いたりしたものだから、こうした皮膚炎は悪化する一方だった。

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馬のような臭い

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Cowboy riding his horse through water
H. Armstrong Roberts/ClassicStock/Getty Images
H. Armstrong Roberts/ClassicStock/Getty Images
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数週間も馬にまたがり移動した後には、カウボーイらは「連れている馬のような臭い」だと形容されていた。この言い回しのために文字通り、カウボーイが長期間馬に乗って移動した結果だと信じる人もいるだろうが、これは結局のところ、長い間シャワーを浴びることがなかったせいで、一般的な皮膚細菌が蓄積していった結果だ。

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こんなに不衛生だったカウボーイらだが、万が一切り傷や擦り傷などでもあろうものなら、ブドウ球菌や連鎖球菌に感染し、膿痂疹(のうかしん)を患っていたことだろう。これは致命的な病というわけではないが、この感染症は伝染性であったため、カウボーイらの間で慢性的に起こっていた。

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性病のまん延

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Picture of Bill Hickock
Bettmann/Getty Images
Bettmann/Getty Images
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当然のことながら、当時の酒場等で親密な関係を持っていた多くの男女が性病を患っていた。こうした性病について情報はほとんどなく、ましてや知識などもなかったが、治る見込みも薄かった。

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当時多くの人々がこうした病気や感染症が存在することを知らなかったため、性病に感染していた人も普通に他の人とも行為を続け、その結果、性病がさらにまん延した。噂によると、伝説のワイルド・ビル・ヒコックも性病によって死んだのではないかとされている。

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アルコール摂取は気弱な人には向いていない

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men drinking in a saloon
Fotosearch/Getty Images
Fotosearch/Getty Images
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当時、多くの酒場で提供されていたウイスキーは、焦がした砂糖にアルコール、噛みタバコを混ぜて作られており、危険なほどに強いアルコール飲料だった。カウボーイらがウイスキーに火をつけ、そのアルコール度数が強いことを確かめたことから「ファイヤーウォーター」とも呼ばれていた。

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ウイスキー以外に当時人気だった飲み物は、サボテンワインとして知られ、テキーラにペヨーテを煎じたものを混ぜて作られていた。当時のアルコール飲料はすべて、今日普及しているアルコール飲料と比べてもはるかに強く、欲しがる人も後を絶たなかった。もちろん、酒場での乱闘や死傷事故も数え切れないほど起こっていたのは、こうした強い酒が引き金となっていたのだろう。

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一般的な食生活はそんなに悪くはない

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Cowboys cooking
Kean Collection/Getty Images
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ワイルド・ウェストにおいて、開拓者の料理はその人それぞれが居住していた場所と季節によって異なっていた。その土地で捕獲されるウサギやリス、野牛(バッファロー)等の獣肉に加え、その土地で取れる植物を食していた。小麦粉、豆、砂糖等その他の乾燥食料も使われ、可能なときに補充されていた。

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食べ物は簡単にダッチオーブンやフライパン、鍋など重金属の素材で作られたものを用いて調理されていた。しかしながら、移住者の数が多くなるにつれ、食べ物の選択肢も広がっていった。

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ワイルド・ウェストのショーも大きな要素に

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Poster for show
Buyenlarge/Getty Images
Buyenlarge/Getty Images
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未開の地での暮らしは、そこに住んだことのない人にとっては、かなり刺激的であるように思えたようで、カウボーイらの暮らしぶりが本当はどのようなものなのか、興味のある人たちが至るところからワイルド・ウェストに見に来ていた。バッファロー・ビルはこうした人々の好奇心を利用して、「バッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショー」を作り上げた。

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馬に乗っていた元郵便配達員、兵士、野牛ハンターらが、ワイルド・ウェストでの生活が本当はどのようなものなのかを様々な角度から見せていたが、直に会社となって運営を始めた。アメリカ中だけでなく、ヨーロッパの一部においてもこうしたショーが行われた。

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自分の身は自分で守る

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Native Americans attacking stagecoach
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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東海岸から西海岸へと移住してきた野望的な開拓者は、過酷な環境にさらされるだけでなく、土地を奪われまいと必死で抵抗するアメリカ先住民ともしばしば戦わなければならなかった。

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これによって法と秩序は崩壊し、結果として、開拓者とアメリカ先住民の間だけでなく、それぞれの間でも争いが絶えなかった。こうした理由から、西海岸の未開の地がワイルド・ウェストと呼ばれるようになったのだ。この結果、諍いが大規模化してインディアン戦争が起こる。これは白人開拓者とアメリカ先住民らが互いに土地をめぐって激しく争った戦いだ。

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死者の写真を撮ることは普通だった

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Wanted poster
The Print Collector/Print Collector/Getty Images
The Print Collector/Print Collector/Getty Images
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当時のワイルド・ウェストでは、一般の人々に対し、無法者が死んだことを証明する唯一の方法が遺体の写真を公開することだった。公開し、回覧させることで、多くの人に信じさせることができたのだ。遺体の写真は通常、死後すぐ、遺体が硬直する前に壁に立てかけて撮影された。

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賞金稼ぎもこの方法を使って、褒賞を得ていた。写真がなければ、無法者が実際に死んだことを信じるものはほとんどいなかったのだ。

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アフリカ系アメリカ人のカウボーイも数多くいた

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Picture of Nat Love
Bettmann/Getty Images
Bettmann/Getty Images
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ハリウッド映画ではほとんどの場合、カウボーイに白人男性を起用しているが、実際には、当時およそ4人に1人くらいの割合は、アフリカ系アメリカ人のカウボーイだった。こうしたアフリカ系アメリカ人のカウボーイらも、我々がイメージする白人カウボーイと何ら違わず、牛の世話をしたり、牧場で働いたり、馬を飼いならしたり、ロデオに出場したりしていた。

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今日、5,000~8,000人のアフリカ系アメリカ人のカウボーイがいたと推定され、19世紀に行われていたロングドライブ(野生化していた牛を駆り集め売りさばくために長距離を移動する業務)に携わっていたとされる。多くのアフリカ系アメリカ人が奴隷として連れてこられたと推測されているものの、その子孫はこうしたライフスタイルを続けていたようだ。

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テキサスの平野をラクダが歩いていた

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Camel tours in Texas
Joe Raedle/Getty Images
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テキサス州の乾燥地帯はエジプトの砂漠と似たようなものだろうが、アメリカでもラクダ団がテキサス州キャンプベルデで1856年に設立された。陸軍は中東から66頭のラクダを輸入し、馬とはかなり異なるものの、ラクダを使ったこの試みは成功したと考えられた。

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アメリカ南北戦争中、キャンプベルデは南軍によって占拠され、戦後、ラクダの多くがリングリング・ブラザーズ等のサーカスに売られ、残りは野生に逃げていった。この野生化したテキサスのラクダが最後に目撃されたのは、1941年のことだった。現在では1頭も残っていないと推測されている。

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1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュは、アメリカ初でも、二番目のゴールドラッシュでもない

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Gold miners
Stock Montage/Getty Images
Stock Montage/Getty Images
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1799年、若きコンラッド・リードがノースカロライナ州カバラス郡にある父親所有の原っぱで金塊を見つけたが、それが何なのかさっぱり分からなかった。たまたま訪れた宝石商によって、それがおよそ7.5キロもの金塊だと気づくまで、おそらく家族はその塊が何かわからないまま何年も使用していたのだろう。この瞬間から、アメリカ初のゴールドラッシュが始まったのだ。

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ノースカロライナ州で大量のゴールドが採掘されたため、政府はシャーロットに貨幣鋳造所を作らざるを得なかった。さらに1828年にはジョージア州でゴールドが見つかり、第二次ゴールドラッシュが始まった。一方、カリフォルニア州のサッターズミルでジェームズ・マーシャルがゴールドを発見したのは、1848年になってからのことだった。

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酒場の女性は引っ張りだこ

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John Wayne in North to Alaska
Michael Ochs Archives/Getty Images
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未開の地は、家族から離れている男たちにとっては寂しい場所なのかもしれない。だが、街においても同じことだ。たいていの場合、特にカリフォルニア州においては男性の数が女性の数を上回っていた。そのため、男たちを楽しませようとして、酒場は女性を雇ってダンスや歌を歌わせ、基本的に男たちが酒場で飲み続け、ギャンブルをしてお金を使い続けるようにした。

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しかしながら、酒場で雇われた女性と、お金でもっと親密な関係を持つことを職業とする女性には違いがあった。酒場の女性は一般的に淑女と見なされ、そのように扱われたし、酒場でのパフォーマンスによってそこそこの暮らしをすることができた。ただ、多くの男たちが護身用とはいえ、ナイフや小銃を保持していたために、危険な職業であることには変わりなかった。

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幸運のシンボル

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Horseshoe nailed to wall
Bettmann/Getty Images
Bettmann/Getty Images
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今日でさえ、馬蹄が幸運の印だということは多くの人に知られているが、これはワイルド・ウェストで始まった俗説だ。当時は馬が非常に重要な役割を果たしていたため、戸口や船のマストに馬蹄を打ち付けておくと、悪霊を追い払うことができるという迷信だったのだ。

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時間が経つにつれ、「悪霊」についてそれほど心配されなくなったことから、馬蹄は幸運のシンボルとなった。

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カウボーイ語は今日にも根付いている

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May Mackey and cowboy
Buyenlarge/Getty Images
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未開の地は基本的に、アメリカの他のどの場所とも似て非なる場所であるため、時が経つにつれ、開拓者らは自分たち独自のスラングを使うようになった。たとえば、「Bellyaching(しきりに不平・不満を言うこと)」、「Hankering(何かがしたいと切望すること)」、「Fandango(スペイン語に由来し、盛大なパーティーを意味する)」などがある。

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これらのスラングは未だにアメリカのあちこちで聞かれる。つまりはワイルド・ウェストがアメリカ中の未来に及ぼした影響力のすごさを示していると言えるだろう。

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カウボーイにはチャップスが不可欠

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Deputy John Fletcher
Bettmann/Getty Images
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バンダナや、拍車、帽子にピストルの他に、カウボーイが必ず身につける衣類と言えば、チャップスだろう。「シャップス」と発音されることもあるが、チャップスはカウボーイの足が馬の横腹に当たってこすれるのを防ぐため、または茂みの中を抜ける場合には草木から足を守るようにデザインされている革ズボンのことだ。

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チャップスはたいていの場合、革やスエードから作られ、ズボンに留め金で付けて履くことができた。留め金を外せば簡単に脱ぐことができる。チャップスは現代においても、馬に乗って働いたり、ショーをしたりする人らに愛用されている。

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ゴールド・アンド・カリーと呼ばれた都市

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Photo credit: barbara smith / pinterest
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ワイルド・ウェストにおいて、採掘は不可欠だった。経済上においても重要な役割を担い、多くの人に職を与えてくれた。このゴールド・アンド・カリーはネバダ州のバージニアシティにあった採鉱場だ。都市の人口は、採鉱場からどのくらい採掘されたかに比例していた。

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バージニアシティで採掘量が多かったときには、バージニアシティに居住している人も多かった。そして、ほとんど採掘できなくなってしまうと、都市は新たな産業を見つけなければならなかった。それができなかった場合は、人が離れていき、崩壊してしまったのだった。

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男の名はビリー

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Photo credit: jon pruett / Pinterest
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おそらくワイルド・ウェストで最も有名な無法者、ビリー・ザ・キッドは危険なガンマンだった。出生名はヘンリー・マッカーティーで、かなり若い頃に少なくとも8人の男を殺したとされている。

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ビリー・ザ・キッドは後に、友人の家の暗がりで丸腰でいたところを保安官のパット・ギャレットによって射殺されている。おそらくこれはワクワクするような結末ではなかったかもしれないが、本当のワイルド・ウェストは映画の筋書き通りに行くことなどは滅多になかったのだ。

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けがれたハト

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ワイルド・ウェストのバーレスクダンサーは、酒場には欠かせない定番となっていた。こうしたダンサーの評価は高く、億万長者になった者もいる。その土地によって異なる呼び方があったようで、たとえばカリフォルニア州のバーレスクダンサーの女性は、カウボーイらから「けがれたハト」と呼ばれていたようだ。

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どの都市に行っても、必ずそこには酒場がある。こうした酒場に行くかどうかは、完全に客次第だった。

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若い頃に家族を殺された少女

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eleanor noelle little / Pinterest
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この少女の家族は、まだ少女がわずか14歳のときに襲撃され、虐殺された。生き残った娘であるオリーブ・オートマンは妹と共に誘拐され、奴隷として育てられた後、モハベ・インディアンに売られることとなった。

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オリーブも妹も2人とも、その部族の一員ということを示す、独特なタトゥーがあごに入れられた。タトゥーは少女らが奴隷だということを示すものだと考える人もいるが、これはモハベ・インディアンの伝統とは一致しない。ワイルド・ウェストでは、アメリカ先住民は「野蛮人」と呼ばれることも多々あり、非人道的な扱いを受けた歴史を示している。アメリカ先住民らは確かに酷い罪を犯した責任の一端を担うものの、カウボーイらにしても、彼らを土地から追い出したのだ。

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ワイルド・ウェスト・ショーのチャージング・サンダー

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aithnejarretta / Pinterest
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チャージング・サンダーをご紹介しよう。26歳のときにワイルド・ウェスト・ショーに入り、後に調馬師の1人と結婚する。ワイルド・ウェスト・ショーが終わった後、英国民となり、マンチェスターのサーカスに入った。

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後に改名し、ジョージ・エドワード・ウィリアムスと名乗り、工場での職を得た。確かに底辺から始まった彼の人生は大きく変わったと言えるだろう。さて、この写真の犬の名前は何だったのか気になる。

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名高いジェシー・ジェイムズ

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jennifer lewis / Pinterest
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ジェシー・ジェイムズは悪い男だった。ジェイムズは単なる無法者ではなかった。ジェイムズはギャングのリーダーで、殺人犯で、強盗で、ゲリラ兵だった。ジェイムズは兄と共にヤンガー・ギャングを結成した。兄弟は南北戦争中には共に南軍のゲリラ部隊に参加している。これはかなりの兄弟愛だ。

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ジェイムズはワイルド・ウェストでも最も有名なガンマンの1人で、何度も映画化されている。

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射撃の名手、アニー

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Hulton Archive/Getty Images
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ワイルド・ウェストで最も有名な人物の1人、アニー・オークレイは幼少期に有名になった。8歳のときにスカウトされ、15歳のときには射撃の名手として知られるようになった。

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アニーは父親の死後、家族を支えるためにショーに出て生計を立てた。アニーの意図するところは立派なものだったかもしれないが、だからといって常に正しいことをしていたわけではない。当時、道徳は必ずしもその土地の法律とは一致していなかったのだ。

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スー族のテント

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jami sealey / Pinterest
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スー族は3氏族(ラコタ族、西ダコタ族、東ダコタ族)からなる部族連合だ。スー族は大平原にティピーと呼ばれるテントを家としてそこに住み、野牛の群れを追う。この写真はダコタ族の領域で撮られたものだ。

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ティピーはシンプルな作りのように見えるかもしれないが、このティピーは、実際にはうまいことバランスを取って作られている。ティピーは頑丈でなければならないが、すぐに立ち退いて移動する必要がある場合、簡単に解体できるようになっているのだ。

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多才な男

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mimi spjut / Pinterest
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さて、ここでもう1人の有名な男を紹介しよう。名前はドク・ホリデイ。ホリデイは銃撃スキルを通じて悪評を得た。ホリデイはギャンブラーでもあり、歯科医でもあった。歯科医を営んでいたときに結核と診断され、そのためにアリゾナへ赴き、そこでギャンブラーになった。

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今日では、歯科医からギャンブラーへは、劇的なキャリア転換だと思われるだろう。当時では、そういったこともそこまで珍しくはなかったのだ。おそらくホリデイの患者は先生の転職を祝えなかっただろうけども。

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ワイアット・アープには手を出すな

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cheyenne kane / Pinterest
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ドク・ホリデイの友人であるワイアット・アープはアリゾナ州の元保安官だが、ギャンブルの胴元になっている。アープは3名のカウボーイを射殺した「OK牧場の決闘」での銃撃戦後に名声を得た男だ。

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ギャンブラーでもあり、売春宿の経営者でもあり、採掘者でもあるアープは、地元の新聞社に「重犯罪者」と呼ばれた。アープはアメリカで初めての真の企業家と言えるかもしれない。それは経営した事業を見ても明らかだ。