地球上で最も深い穴が発見された。その底に眠っていたものに多くの人が凍りつく

地質学者及びタイムトラベルファンであれば、地球の「深い場所」について詳しい方も多いのではないでしょうか。死海は海抜ゼロ以下ということで、地球上で最も低い地点の1つです。マリアナ海溝も有名ですよね。世界にはかなり深い炭鉱も存在します。しかし、その中でも深さで群を抜いているのがコラ半島超深度掘削坑でしょう。

人工の穴ですが、底までたどり着いた人間はいません。それでは、そんな不思議な穴の底に眠っているものを調べてみましょう。

所在地

コラ半島超深度掘削坑の所在地は、バレンツ海沿岸のムルマンスク州北西に位置するペチェングスキー地区。フィンランドとノルウェーにほど近い地区です。穴はソ連による科学的研究を目的とした削孔作業によって開けられました。

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Photo Credit: @goandtryit / Instagram
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「掘削坑」とは?

技師や環境コンサルタントは、地盤調査の一環として削孔される穴すべてを指して「掘削坑」と呼んでいます。つまり、掘削坑とは調査目的のために彫られる穴と考えてよいでしょう。

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Photo Credit: @thisisnikirussell / Instagram
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深さは?

名前から予測がつくかもしれませんが、コラ半島超深度掘削坑は地球上で最も深い穴です。さて、ではどれほどの深さなのでしょうか?幅はたったの23センチですが、深さは何と12,262メートルあります。

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Photo Credit: @jng.san / Instagram
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穴の目的は?

この穴は、科学兵器レースの産物です。コラ半島超深度掘削坑が掘られたあたりの時代、アメリカは月面着陸レースで勝利します。他国は別の角度からレースに臨み、地球の中心への旅で競い合うようになりました。

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Photo Credit: Alexander Tumanov / TASS
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作業開始はいつ?

1958年、アメリカは「モホール計画」に着手します。地球の中心へのレースでソ連を負かしてやろうと躍起になっていましたアメリカの削孔作業は1966年にストップしましたが、ソ連は計画を当初の計画を続行。1990年代まで削孔作業を続けていました。

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Photo Credit: @intellectinterviews / Instagram
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とにかく掘り続ける

コラ半島超深度掘削坑は、実は1つの穴ではありません。複数の掘削坑が元の穴につながっています。最も深いメインの穴は、エッフェル塔を37.8個重ねた長さに相当する深さがあります。

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Photo Credit: Chesnot / Getty Images
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ここで発見されたものとは

この穴の削孔のそもそもの目的は、地球の地質に関する情報を集めることです。マントルには到達していませんが、実際科学者たちは穴からたくさんの地理的情報を収集することに成功しました。

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Photo Credit: @intellectinterviews / Instagram
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かなり古い化石

科学者たちが期待していたのは地球の形成に関する情報です。しかし実際に科学者たちが発見したのはそれだけではありません。同時に重大な古生物学的発見がありました。地下6.4キロ地点にて、プランクトンの化石が発見されたのです。

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Photo Credit: DeAgostini / Getty Images
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地下に溜まった水

化石に加え、地球の地表の下を自由に流れる水の存在が見つかりました。地下岩石に圧迫され、かなりの圧力下に閉じ込められていたのです。

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Photo Credit: Getty Images
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高温

最終的にこのプロジェクトは終わりを迎えます。科学者たちは削孔し続けることができなかったためです。その理由の1つは、気温の上昇。削孔地点の気温は180度の高温に到達しました。

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Photo Credit: @tfi5 / instagram
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長い道のり

この穴はかなり深いように思われるかもしれません。しかし見方を変えてみましょう。地球上で最も深い穴ですが、それでも地球の中心までの距離のたった0.19%にすぎません。

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Photo Credit: @quasar_waves / Instagram
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さらに深くまで行くことは可能か

地球の場所によっては、奥深くまで掘り進めることが可能です。海底は少なくともたいていおよそ7キロほどの深さにあります。35キロ地点で地殻の厚さが増しますが、一方で密度が低いことがほとんどです。そのため、海底の削孔ほうが陸の削孔より格段に容易です。

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Photo Credit: @quasar_waves / Instagram
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なぜ海底を削孔しないのか?

これはなかなかいい質問ですね。実は、すでにこのようなプロジェクトは進行中です。インド洋のアトランティスバンクで現在削孔作業が行われています。ここには近辺の他のエリアに比べて温度が低い海洋プレートあるため、技術者たちにとっても作業が行いやすい環境なのです。

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Photo credit: AFP via Getty Images
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引き続き行われる削孔作業

このインド洋のプロジェクトはすでに数年間にわたって継続中です。一旦作業が停止されたものの再び開始され、しばらくその状態が続いています。現在、地球のゆっくり回転するマントルの先を目指して引き続き作業が行われています。

The Earth is formed of three concentric layers: the core, the mantle and the crust; these are separated by transition zones called discontinuities.
Photo Credit: QAI Publishing / Universal Images Group via Getty Images
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大きな発見

コラ半島超深度掘削坑での主な発見の1つは、以前信じられていたこととは裏腹に花崗岩が玄武岩に変化するわけではないということです。地球の地下7キロでは、そのような変化の証拠は一切見つかりませんでした。

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Photo Credit: Wolfgang Kaehler / LightRocket via Getty Images
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さらに新しい情報

さらに、地球の地上の奥深くにはかなりの量の水素ガスが存在していることがわかりました。穴から流れ出した泥は、水素ガスで「沸騰」していたそうです。

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Photo Credit: @ra_kamal / Instagram
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プロジェクトの終了

コラ半島超深度掘削坑での作業は、ソ連が崩壊した1995年についに終わりを迎えます。現場は完全に放棄されてしまいました。写真のマスクは、このプロジェクトに参加していた科学者の1人が置き忘れたものです。

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Photo Credit: @arthurvanderlee / Instagram
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訪問は可能

数年たった今でも、この場所にはたくさんの人が訪れています。かつては、穴の横にそびえたつ塔も残っていました(2007年から2012年ごろに破壊)。

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Photo Credit: @gattodimarzo / Instagram
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穴の価値

地質学者のベンジャミン・アンドルーズは次のように話しています。「マントルそのもの、マントルの動きに関して我々の知識が深まれば、火山や地震に関する知識が深まります。その結果、地球という惑星が全体としてどのように機能しているかを理解することができるのです」。これこそ、コラ半島超深度掘削坑の存在は非常に重要視されている理由です。

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Photo Credit: @arthurvanderlee / Instagram
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今でも記録保持者

科学的な目的で削孔された穴やトンネルは他にもたくさん存在します。しかし、コラ半島超深度掘削坑の人為的に掘られた最も深い穴の記録という記録はいまだに破られていません。

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Photo Credit: @cartraveller68 / Instagram
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パンテオンの真正面

シンクホールが現れたのは、117年に建設されてから礼拝所として使用されているパンテオンの真正面です。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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ローマのロトンダ広場に位置してるパンテオン。ここで1平方メートル分の地面が陥没し、地面に穴を残しました。さて、このシンクホールで考古学者たちは一体何を発見したのでしょうか。

珍しいことかとおもいきや…

パンテオンの目の前にシンクホールが現れるということは珍しいように思えるかもしれませんが、ローマではシンクホール自体は珍しくありません。かなり古い町であるため、古い採石場、トンネル、カタコンベが、数千年の時を経て倒壊してしまうことがあるのです。

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CIRO FUSCO/ANSA/AFP via Getty Images
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特に東部ローマでは、石畳の通りの下にかつて採掘場として使用されていたたくさんの秘密の穴が眠っています。そしてこのような穴からは、遺された過去の遺物が見つかることがよくあるのです。

永遠に続く…

ローマでは、1年で100個のシンクホールが出現することもあります!しかし、2020年の4月にパンテオンの前に現れたものほどの注目を集めることはあまりありません。

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TIZIANA FABI/AFP via Getty Images
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パンテオン前のシンクホールには、多数の考古学者たちが興味を示しました。歴史があふれる地域の地下には、何か価値のあるものが眠っているはずだと考えられていたからです。

パンテオンの遺産

今日まで、パンテオンは数千前に古代人によって建設された最も保存状態の良い古代のローマの建造物の1つであり続けています。さらに驚くべきことに、現代でも古代の時代から変わらずに信仰の場として利用されています。

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Laszlo Szirtesi/Getty Images
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しかし、現在は平日通常観光客が入ることができない教会として機能しています。これは地元の人が邪魔されずに静かに祈りを捧げることができるようにするための計らいです。

元々は教会ではない

ローマのパンテオンは現在教会として使用されていますが、本来の目的は異なります。現在目にしているものとは異なる元々の建物は、紀元前25年にマルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建設されました。彼の義理の父であるアウグストゥスは、ローマの初代皇帝です。

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Hulton Archive/Getty Images
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元々の建物はもっと小規模で教会ではありませんでしたが、ローマ人たちがローマの神々を信仰する場として利用されていました。ギリシア語である「パンテオン」は、「すべて」を意味する「pan」と「神々」を意味する「theos」からきています。

火災で焼失

残念ですが、元々のパンテオンの構造は建設から100年後に火事に遭い、大部分が失われてしまいます。

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VW Pics/Universal Images Group via Getty Images
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その後、81~96年にローマを指揮したドミティアヌス皇帝によって再建。驚くべきことに、この新しいパンテオンも長続きせず110年に雷に打たれて破壊されました。これを受けて、2度も破壊されたと恐れをなした信仰者たちは迷信を信じるようになります。

様々な建造物の建設を命じたハドリアヌス皇帝

117年にハドリアヌスが皇帝に君臨すると、彼は現在我々が目にしているあのパンテオンの再建を命じました。建築と芸術を重んじることで知られていたハドリアヌス帝は、帝国中に様々な建造物を建設することを最優先していたのです。

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De Agostini via Getty Images/De Agostini via Getty Images
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ハドリアヌス帝の最も有名な建築的偉業と言えば、イングランド北部に117キロにわたって走るハドリアヌスの長城でしょう。この壁はローマ北部の国境を示しており、これより先は「世界の終わり」と考えられていました。

ご先祖様に対して敬意を示したハドリアヌス帝

3代目の最後のパンテオンが完成したのは126~128年の間である、ということで専門家の意見が一致しています。この時、ハドリアヌス帝はパンテオンに自分の先祖たちに対する敬意の表明を残しました。

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LBERTO PIZZOLI/AFP via Getty Images
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ハドリアヌス帝は、のちにかなり長い間歴史家たちの頭を悩ませることになる「説明」をパンテオンに残しています。「ルキウスの息子であり3度にわたって執政官を務めたマルクス・アグリッパによって建設」。このことから現在専門家の間では、ハドリアヌス帝がアグリッパによって建設されたパンテオンと同じ場所に現在のパンテオンを建設したと考えています。

荒廃を被ったパンテオン

その200年後、ローマ帝国の首都はローマから現在のイスタンブールにあたるビザンティウムにうつされます。残念ですが、これはパンテオンにとってマイナスに働きました。パンテオンは荒廃し、この状態は609年にボニファティウス4世が修繕に乗り出すまで続いたのです。

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Icas94 / De Agostini Picture Library via Getty Images
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ボニファティウス4世はビザンツ皇帝であるフォカスに相談し、パンテオンに新しい使い道を与えるための許可を求めます。この場所をカトリック教の教会にしたいと考えていたのです。許可を得たボニファティウス4世は、この場所を「セイント・メアリー・アンド・ザ・マーティス」と改名しました。

異教からカトリックへ

その結果、かつては異教徒の信仰の場所であったパンテオンは、カトリック教会へと変貌を遂げました。このような変更が許可されたのが初めてでしたが、パンテオンにとっては願ってもない状況だったと言えるでしょう。

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Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images
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以前の様な栄光を取り戻し維持するための資金を手に入れた教皇 (ボニファティウス4世) は、コンクリートとレンガを使って、ポルチコ、長方形の内装、天井の3つの主要な部分を建設しました。

建築の偉業とも言える天井

パンテオンのドーム型の屋根は、古代ローマの建築家たちによる最大の偉業の1つだと考えられています。明らかな支えがないにもかかわらず頭上で見事な弧を描いている天井は圧巻です。

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David Aschkenas/Construction Photography/Avalon/Getty Images
David Aschkenas/Construction Photography/Avalon/Getty Images

この天井は、1000年以上の間世界最大のクーポラとして君臨してきました。現在でも、支えを一切持たない円形コンクリート製の天井では最大級であり、過去から変わらずに素晴らしい芸術として認められています。

ただのドーム以上

直径43メートルあるドームはそれだけでも素晴らしいですが、さらに驚くべきことは1番上の部分の中心に開いている8.5メートルのパンテオンの「目」です。この穴は、適当に開けられたわけではありません。

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Werner Forman Archive/Heritage Images/Getty Images
Werner Forman Archive/Heritage Images/Getty Images

「神々を信仰していた建物内の人たちが少しでも神に近づけるように」、という目的のために作られました。建築的な観点から言えば、これによってドームから建物にかかる緊張を軽減しています。だからこそ、これほど長い間生き延びることができたのです。

ミケランジェロもびっくり

ミケランジェロは、イタリア・ルネサンス時代を生きた最も素晴らしい芸術家の1人に数えられています。パンテオンに関して、彼は「素晴らしいデザインである」と称し、「人間がこれほど完璧なものを作ったということは信じられない」と感心していたそうです。

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DeAgostini/Getty Images
DeAgostini/Getty Images

このデザインに感化されたトーマス・ジェファーソンは、モンティチェロと呼ばれるバージニア州の自身の邸宅にクーポラを取り入れています。さらに、アメリカの首都にあるたくさんの建物がこのようなデザインからインスピレーションを得ています。

パンテオンとの関連性

有名なルネッサンス期の芸術家を感心させたパンテオンは、カトリックの教会であったため当時の有名人の埋葬場所としても人気を集めていました。

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Kaveh Kazemi/Getty Images
Kaveh Kazemi/Getty Images

この場所には、画家のラファエルやイタリアの王族が眠っています。素晴らしい建築と過去の著名人の墓場を一目見ようと、現在世界中から観光客が訪れています。

失われた歴史

現代のローマには、文明化した街になる前から数千年にわたって人々が暮らしています。そのため、たくさんの失われた歴史が地下に埋まっていることは驚きではありません。古代人によって掘られた採掘場もその一部です。

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John Moore/Getty Images
John Moore/Getty Images

ローマの様々な場所でシンクホールが生まれているのは、これらの古代の鉱山労働者たちが残していった穴、トンネル、カタコンベが原因です。また、街が建設された土壌の「緩さ」も、シンクホール形成に加担していると言えるでしょう。

シンクホールの調査

2020年4月にパンテオンの前に現れたシンクホールは、直径3メートル、深さ2.5メートル。大きな穴ではありますが、ローマの街の地下に眠るすべての歴史に比べれば、発見された部分はほんの一部にすぎません。とはいえ、この穴がローマの歴史を知る鍵であることは否めません。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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シンクホールの調査を買って出たのは、ANSAの考古学者チームです。

発見された古代の石

ANSAの考古学者たちがシンクホールに入っていくと、ローマが帝国の首都であった時代までさかのぼる敷石が発見されました。

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DeAgostini/Getty Images
DeAgostini/Getty Images

紀元前25~27年にさかのぼるとされる石は合計7つ。興味深いことに、紀元前27年はローマ帝国が建国された年です。

初代パンテオンの一部

紀元前25年にアグリッパによって初代のパンテオンがローマに建設されたことは前述の通りです。この時代、彼の義理の父であるアウグストゥスは初代皇帝として帝国をおさめてました。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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この事実を考慮し、発見された古代の石はアグリッパが建設した初代のパンテオンの一部であると考古学者たちは結論付けました。石のデザインにはアグリッパ自身が関わったとされています。考古学者たちはこの発見に驚きを隠せませんでした。

なぜ地下に眠っていたのか

アグリッパによって建てられたパンテオンが消失した後、ハドリアヌス帝な同じ場所に新たなパンテオンを建設しました。これはハドリアヌス帝の偉業の1つとして数えられています。それと同時に、皇帝はパンテオンの周りの広場の改装を命じました。

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Araldo de Luca/Corbis via Getty Images
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パンテオンの広場には、200年初期にさらなる改装が行われています。これによって、初代のパンテオンの岩が地中深くに押し込まれたのです。しかし、現代になって出土した古代の岩はこれだけではありません。

一部は1990年代に発見

1990年代、地下トンネルに新しいケーブルを敷く作業を行っていた作業員たち。このプロジェクト中に、なんと古代ローマ人によってひかれたトラバーチン石造物が出土しました。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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1990年代のこの発見も素晴らしいですが、2020年4月の発見のユニークなところはシンクホールによってたまたま見つかったということです。まさに「発見してください」と言わんばかりの状況でした。

発見後は再び地下へ

1990年代に作業員たちによって発見された岩は、調査後上からポゾランをまいて再び土へと返されました。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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ローマ警察署長であるダニエラ・ポロは、ポゾランは水分を含むとセメントと似たような働きをする素材であると説明しています。ポゾランの層を足すことでダメージを軽減しようという狙いです。

ポゾランは大正解

2020年4月に再び岩が発見された際、ポロはポゾランによって遺物が保護された点を強調しました。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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2020年5月に出した声明で、ポロは次のように話しています。「これは考古学的な保護の重要性の紛れもない証明です。このような現象は知識を得る機会であるだけでなく、ローマの様な都市にとって貴重な遺産である歴史の証拠の保護にとって重要です」

シンクホールによって回避された災害

岩を守るために敷かれた計画と保護戦術のお陰で、パンテオンのシンクホールが形成されたタイミングにおいてはローマの住民はラッキーだったかもしれません。

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Alessandro Serrano’/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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イタリアの新聞社の『ラ・スタンパ』は次のように報道しています。「幸いにもシンクホールが形成されたエリアは閉鎖中。そうでなければ、『通常』時ローマ住民や観光客で溢れかえる天候の良い春の日に大惨事を引き起こしていたかもしれない」

予防策をとっているローマ

幸い、ローマ政府は街中に起こり得るシンクホールの危険を意識しています。これは歴史的なローマの街に住むデメリットの1つでしょう。

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Annette Reuther/picture alliance via Getty Images
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問題改善のため、2018年の3月、街はシンクホールの形成を防ぐべく街中に存在する50,000以上のくぼみを修理する計画を発表しました。市長のヴィルジニア・ラッジは、プロジェクトの開始及び将来的な問題の防止のために1,700万ユーロ(およそ23億円)を予算として計上しています。

計画通りとはいかず

ラッジ市長がくぼみを修繕する計画を発表した際、50,000個のくぼみがプロジェクトの最初の月に埋められました。しかし2020年の春以降、プロジェクトは大幅に遅れています。

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ANDREAS SOLARO/AFP via Getty Images
ANDREAS SOLARO/AFP via Getty Images

そのため、くぼみは依然毎日通りを歩く何千ものローマ市民と観光客の不安要素です。さらにメンテナンス不足によりシンクホールは現在もなお様々場所に出現しています。

歴史的遺跡の別のシンクホール

パンテオンのシンクホールはしばらく話題となりましたが、ローマの歴史的遺跡に現れたシンクホールはこれが初めてではありません。2020年1月、あの有名なコロッセオにほど近い場所にもシンクホールが出現しています。

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ELIO CASTORIA/AFP via Getty Images
ELIO CASTORIA/AFP via Getty Images

これを受けて、街の関係者は新しくできた穴付近の安全性を確認するため住人たちを避難させる事態となりました。