ゴールデン・ゲート・ブリッジの下で見つかった失われたはずの発見

1937年以降、ゴールデン・ゲート・ブリッジは、ゴールデン・ゲート海峡にまたがり、サンフランシスコ湾と太平洋をつないでいます。目を見張るような建造物ではありますが、この橋の下には複数の「謎」が眠っていることはご存知ですか?

アメリカ海洋大気庁 (NOAA)は、海中ロボットの力を借りてゴールデン・ゲート・ブリッジの下に眠る恐ろしい秘密を暴くという目標を打ち立てました。そこで見つかったものは、かなり異様なものだったのです。

アメリカで最も有名な観光名所のひとつ

One Of The United States Most Famous Landmarks
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サンフランシスコ湾上におよそ1.6キロに渡ってかかるゴールデン・ゲート・ブリッジのさび色の構造は、アメリカで最も有名な観光名所のひとつと言ってもよいでしょう。世界中の人が素晴らしい工学を目にしようとサンフランシスコを訪れます。

橋に目を向けていると、その下の海には複数の秘密が眠っていることを忘れてしまいがちです。NOAAは、水中ロボットの力を借りて過去のストーリーを解き明かそうと作業を開始しました。

1日27,000人が訪れる橋

The Bridge Has Around 27,000 Visitors Per Day
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『ボールド・イタリック』によれば、ゴールデン・ゲート・ブリッジには1日27,000人が訪れます。米国土木学会が現代版の世界の不思議だと謳っていることにも頷けますよね。

パナマ運河に匹敵する工学の偉業を見上げている人達は、橋の下に広がる水中に眠るストーリーをご存知ないのかもしれません。

不思議で溢れる深さ115メートルの水

377-Feet Deep And Full Of Mystery
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最も深い場所で115メートルあるゴールデン・ゲート・ブリッジの下に広がる水には、複数の奇妙なストーリーがあります。ということで、アメリカ海洋大気庁がその不気味な秘密を暴くべく乗り出しました。

リモート操作の水中ロボットを使用して、今まで時間と海流によって隠されていたゴールデン・ゲート海峡の海底に眠っているものを暴きだす時が来たのです。

世界にある天然港のひとつ

It Is One Of The World's Natural Harbors
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NOAAの発掘作業は、響きほど簡単には行きません。ゴールデン・ゲート海峡は、サンフランシスコ湾と太平洋をつなぐただの1.6キロ幅の水の流れではありません。その波の下には秘密を秘めているということで知られています。

世界の天然港のひとつであり、スペインのコンキスタドールたちはカリフォルニアに行き着く途中で何も気づかずそのまま通り過ぎてしまったそうです。

18世紀まで未発見だった湾

The Bay Was Hidden Until The 8th Century
Marji Lang/LightRocket via Getty Images
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かなりの長期間霧に包まれており、ゴツゴツした地形、激しい水流、複数の海の捕食者に囲まれているため、NOAAは作業を慎重に計画する必要がありました。

海峡の横断は順風満帆とは程遠いため、18世紀にスペイン人たちがたまたま出くわすまで未開拓であったことには理由があります。多くの船が岩に激突し大破してきました。しかし、NOAAは計画を中止するつもりはありません。

水のなすがままに

Many People Were At The Mercy Of The Water
Tayfun Coskun/Anadolu Agency/Getty Images
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太平洋の激しい流れのお陰で、安全な湾に逃げ込もうとした者には悲劇が襲い掛かりました。さらに、海図や道具が不足していたため、初期の北カリフォルニア入植者たちは自分たちの目に頼るしかありません。

霧の嵐に襲われるようなエリアを進む場合、そのような方法は十分ではないでしょう。しかし、複数が海峡を越えて湾の中に入ることに成功して港の周りの岸に入植していきました。

全てを変えたジョン・モンゴメリー

Everything Changed With Captain John Montgomery
DEA/BIBLIOTECA AMBROSIANA/Getty Images
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1779年6月27日に初めてスペイン人たちが入植し、イエルバ・ブエナと名付けられた入植地は数年後に残りのアメリカに譲渡されました。1846年、ジョン・モンゴメリー船長が湾に到着し、アメリカとして土地の権利を主張します。反抗で迎えられることもなく、初のアメリカ国旗が海岸に掲げられました。

その1年後、イエルバ・ブエナはサンフランシスコに改名。1850年、カリフォルニアはゴールデンラッシュ目前にアメリカの31つ目の州に認められます。

増え続ける人口

The Population Kept Growing
Buyenlarge/Getty Images
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1855年にカリフォルニアのゴールドラッシュの勢いがおさまった後も、サンフランシスコ湾は最も重要な湾のひとつとして機能し続けました。船でたくさんのひとがサンフランシスコに到着すると、遂にこの激しい海峡に対処する必要が出てきます。

間もなくして、ゴールデン・ゲート・ブリッジはベイエリアの有名なランドマークとして認知され始めます。

他の街に比べて遅れ気味のサンフランシスコ

San Francisco Was Behind Other Cities
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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錆色のゴールデン・ゲート・ブリッジがゴールデン・ゲート海峡の上に掛けられる以前、人びとは海峡を渡る最も楽な方法であるボートを利用してサンフランシスコの岸へ到着していました。

この場所こそ、街の成長を妨げていた理由。孤立しており物資が街まで到達しづらかったため、サンフランシスコはアメリカの他の大都市に比べて成長が遅れていました。

解決策を見出す時

It Was Time To Find A Solution
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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ということで、ブレインストーミングが始まりました。フェリータイプのサービス以外で人々が海峡を越える方法を考え始めます。皮肉にも、橋を架けるという案は現実的ではないと考えられていました。

ゴールデン・ゲート海峡の激しい水流と満ち引きに加え、北カリフォルニアの沿岸のモヤモヤした霧深い天候は建設作業を行うには適したコンディションとは言えません。しかし、だからと言って人々が橋というアイディアを完全に無視していたわけでもありません。

サンフランシスコ万国博覧会開始

The 1915 World's Fair Was Just The Start
Schenectady Museum; Hall of Electrical History Foundation/CORBIS/Corbis via Getty Images
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多くの人がこのような橋が建設されることはないと思っていたものの、実現すればかなり素晴らしいものになると信じていました。海峡を横断し、大きな船が潜り抜けて港まで入ってこれるほどの大きな橋です。

1915年にサンフランシスコでサンフランシスコ万国博覧会が開催されると、巨大な橋を架けるというアイディアがかなり現実的になってきました。

提案:結合カンチレバーと吊り橋

The Proposal: A Combined Cantilever And Suspension Bridge
DeAgostini/Getty Images
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エンジニアのジョセフ・ストラウスは、サンフランシスコとマリンをつなぐ海峡上に架かる結合カンチレバーと吊り橋を提案します。

もちろん、ストラウスがはじめに提案した1921年からすぐには実現されません。数年後、幾度もの見直しとかなりの建設時間をかけてゴールデン・ゲート・ブリッジが建設されました。当時の最長かつ最大の橋です。

1937年開業日

Opening Day Happened In 1937
Unknown/The San Francisco Chronicle via Getty Images
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ゴールデン・ゲート・ブリッジが正式に開業したのは、1937年の5月27日。アメリカの経済危機のさなかに完成した橋は、ベイエリアの希望と進歩の象徴となりました。

今日、橋はサンフランシスコで最も観光客に人気なスポットのひとつです。毎年1,000万人の観光客が訪れ、日々100,000台の車両がサンフランシスコとマリン間を横断するお手伝いをしています。

人通りの多さを考えると秘密は開拓されつくしている?

With So Much Daily Traffic, What Is Left To Discover?
David Madison/Getty Images
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人通りも交通量も多いため、サンフランシスコのランドマークに関する未発見の事実があるとは考えにくいかもしれません。しかし、すべてはただの氷山の一角。ゴールデン・ゲート・ブリッジの影の裏には、たくさんの謎と遺物が隠されているのです。

ということで、秘密の開拓はNOAAに託されました。一体何を発見するのでしょうか?

水中の発見に準備万端のNOAA

NOAA's Well-Equipped For Underwater Discoveries
Eva Marie Uzcategui/Getty Images
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アメリカ海洋大気庁 (NOAA) は、世界中の主要な水路の状況にフォーカスしている科学機構です。 彼らはゴールデン・ゲート海峡とその海中に眠っているものに目をつけました。

幸い、同機構にはたくさんの海洋考古学者や研究者が所属しており、ミッションに取り掛かる準備は万端に思われました。しかし、水中で発見されたものは遥かに予想を超えたものだったのです。

世界の水路を監視することが主な目的

Their Main Goal Is To Monitor The World's Waterways
Hyoung Chang/The Denver Post via Getty Images
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アメリカ海洋大気庁のミッションの一部は、世界中で発見された海と水路を監視することです。これには855,000平方キロメートルのグレーターファラロネス国立海洋保護区も含まれています。

変わったことがないかどうかと海底をスキャンすることは、たくさんある彼らの目的のひとつに過ぎません。ただ、ゴールデン・ゲート・ブリッジとその下を流れる海に目を向けることになった理由はたったひとつでした。

NOAAに降り積もるたくさんの課題

Between Currents And People, NOAA Had A Lot Of Work To Do
Masci Giuseppe/AGF/Universal Images Group via Getty Images
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水泳者、カヤッカー、写真撮影に勤しむ観光客、毎日通るたくさんの車を考慮すれば、ゴールデン・ゲート・ブリッジにまだ秘密が隠されているとは想像しづらいでしょう。しかし、それはただの思い込みです。

長い月日の中で複数の船を沈めてきたうねり、水流、潮汐。NOAAはこれらの沈没船が残していたストーリーの真相を暴きたいと考えたのです。

ソナーによって8つの潜在的な発見

They Found Eight Potential Discoveries Via Sonar
Francois LOCHON/Gamma-Rapho via Getty Images
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NOAAの研究者たちは、2014年9月にゴールデン・ゲート・ブリッジの西側のスキャン作業を開始します。海底のソナースキャンを確認し、さらなる調査の価値があるロケーションを8か所発見しました。

その8か所のロケーションの内4か所は、研究者チームがまさに探し求めていたのものであることが発覚します。これら4か所の場所には沈没船が沈んでいたのです!ここで遂にロボットが投入されます。

ROVの出番

It Was Time To Bring In The ROV
Alexis Rosenfeld/Getty Images
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遠隔操作型の無人潜水機 (ROV)を使用して、チームは各現場に向かい何かおもしろいものはないかと海底を調査します。未発見の謎などないかのように思われた橋には、その奥底に知られざるストーリーを隠し持っていたのです。

遂に、船の名前、船の出航地、ゴールデン・ゲート・ブリッジの下に沈んでしまった経緯を調査する時がやってきました。

1つ目の発見「ヌーンデイ」

Their First Discovery: Noonday
Sepia Times/Universal Images Group via Getty Images
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調査後、NOAAは沈没船のひとつが「ヌーンデイ」という名前であることを発見しました。ボストンの商人であるヘンリー・ヘイスティングスのために建造されたクリッパーです。ヘイスティングスにとっては不運なことに、船は4度目のサンフランシスコへの船旅中の1863年1月1日に沈没してしまいます。

船が岩に激突して沈み始めた際、港が目と鼻の先にあったことが幸いしました。乗組員は全員無事に救助されます。しかし、船の貨物は同じようには行きませんでした。

岸が見えたものの岩に激突した「ヌーンデイ」

Noonday Could See The Shore But Hit A Rock
Ezra Shaw/Getty Images
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ボストンからの139日の船旅を考えれば、「ヌーンデイ」の乗組員たちはサンフランシスコの岸を目にしてほっとしたことでしょう。しかし運命は時に残酷で、船が港までたどり着くことはありませんでした。

港から13キロ離れた場所で岩に激突した「ヌーンデイ」の船内にはすぐさま海水が入ってきます。沈没船から慌てて脱出しようとしたヘイスティングス船長とクルーはほとんど荷物を持っていくことが出来ず、貴重な貨物の大部分を船に残していきました。

ヌーンデイロックと名付けられた岩

The Rock Was Named Noonday Rock
Kimberly White/Corbis via Getty Images
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乗組員たちは命からがら逃げおおせたものの、船は40ファゾムの深さに沈みました。船に積まれたままの貨物は貴重な品であるため、過去には大勢の人が海の墓場からこれらのお宝を回収しようと試みました。残念ながら、挑戦した者の中にお宝を持ち帰ってきた人はいません。

皮肉にも、船を沈没させた岩は現在ヌーンデイロックと呼ばれており、サンフランシスコのファラロン諸島の一部を形成しています。この場所は有名ではあるものの、その名前の正確な由来はわかっていません。

さらなる調査

It Was Time For Further Investigation
Heritage Art/Heritage Images via Getty Images
Heritage Art/Heritage Images via Getty Images

NOAAチームが2014年に「ヌーンデイ」の位置を発見したものの、作業はまだたくさん残っています。ソナースキャンを確認したあと、ボランティアの1人が沈没船と同じくらいの大きさの構造に気づきました。

ヌーンデイロックからそう遠くない場所に位置しているようです。ROVを駆使して、研究者たちはソナー装置が指し示す場所をさらに調査することにしました。

目視できない船

The Ship Wasn't Visible
Gregory Messier Courtesy of U.S. Navy/Newsmakers
Gregory Messier Courtesy of U.S. Navy/Newsmakers

残念ながらソナーが構造を検知したものの、ROVは実際の船を見つけることが出来ませんでした。ひとつはっきりしていることは、NOAAは1983年に沈没したクリッパーの沈没地点を突き止めたということです。

AP通信とのインタビューで、NOAAのジェームズ・P・デルガードは次のように答えています。「ヌーンデイは確かにそこにあるんだ。信号がはっきり出ているからね。ただ、海底の上に出ている部分がないようなんだ」。しかし、まだ諦めることはできません。調べるべき場所はまだ3つ残されています。

S.S. セルジェ号

Next Up: The S.S. Selja
Stefan Sauer/picture alliance via Getty Images
Stefan Sauer/picture alliance via Getty Images

調査中に突きとめたロケーションのひとつによって、NOAAは長い間行方不明だった幽霊船のセルジェ号を発見します。これは1920年に沈没した貨物汽船です。ポートランド&アジアティック・スチームシップ・カンパニーがチャーターしていたタンカーは、アジアと太平洋岸北西部間の小麦粉と木材の貿易に利用されていました。

1910年11月22日、セルジェ号はオレゴン州のポートランド沖の貿易ルートへ向かう途中でした。

55メートルの深さまで沈んだセルジェ号

A Fateful Collision Sunk The Selja In 180 Feet Of Water
Carol M. Highsmith/Buyenlarge/Getty Images
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運命の日、セルジェ号は別の貨物船であるビーバー号と衝突。船長が船の汽笛を耳にし、ポイント・レイズで方向転換しようとした際にはすでに時遅し。オレゴン州のポートランドの沿岸から1127キロ離れたサンフランシスコ西部で、S.S. セルジェは55メートルの深さに沈没しました。

公式発表の中で、ビーバー号のウィリアム・キッドストン船長は次のように述べています。「セルジェ号は衝突から10分で船首から沈んでいった。30ファゾムの深さに沈没したんだ」。

セルジェ号の探索に成功

They Could Explore The S.S. Selja
usoceangov/Youtube
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衝突によって「責任問題」に発展しかけたものの、どちらかの船長に非があるという可能性は除外されました。その裁決後、セルジェ号は世間から忘れ去られていきます。時が経ち、NOAAの研究者たちがレーダー上にこの幽霊船を発見。場所はゴールデン・ゲート・ブリッジの西側です。

海底に埋まってしまっている「ヌーンデイ」号とは異なり、セルジェ号は探索可能な状態で発見されました。

2つの船の発見では飽き足らない

NOAA Wasn't Stopping At The Two Ships
Thankyouocean/Youtube
Thankyouocean/Youtube

ソナーの発見から2つの船を発見したNOAAのチームでしたが、まだ2つのロケーションが残っています。そのうち1つは保存状態が悪く、網で覆われていたためにはっきりと名前を確認することが出来ません。

もう1つはかなり状態がよかったものの、事故によってたまたま海底に沈没した無名のタグボートであることが分かりました。

沈没船で溢れかえるエリア

The Area Is Full Of Shipwrecks
NOAA Sanctuaries/Youtube
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残りの2つの名前を特定することはできませんでしたが、まだ1つ大きな疑問が残っています。なぜゴールデン・ゲート・ブリッジの下の海底にはたくさんの沈没船が眠っているのでしょうか?理由の1つは、港へ行き来するボートの交通量と関係しています。

『ライブ・サイエンス』とのインタビュー中に、NOAAのジェームズ・P・デルガードは次のように答えています。「我々は太平洋岸で最も通行量が多く重要なアメリカの港への漏斗となっているエリアを調査中だ」

300隻はあるとされる沈没船

There Are Around 300 Wrecks In the Area
Nicolas Economou/NurPhoto via Getty Images
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『ライブ・サイエンス』によれば、グレーターファラロネス国立海洋保護区とゴールデン・ゲート国立保養地の辺りにはおよそ300隻の沈没船が眠っているとされています。最も古い船は、16世紀に沈んだスペインのガレオン船、サン・オーグスティンです。

幸い、1番新しい沈没は1980年のプエルトリコ号。ニューオーリンズに向かってサンフランシスコ港を出発した数時間後に起こった爆発が原因でした。

失われたと思われていたものを発見したNOAA

Months Before, NOAA Found Something Thought to Be Lost
Education Images/Universal Images Group via Getty Images
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数隻の船を発見したNOAAですが、ゴールデン・ゲート・ブリッジの下に眠る何百隻の船を考えれば4隻という数字は大したことがないかもしれません。沈没船の多くの船はまだ発見されておらず、もちろん探索すらされていません。

2014年の発見の調査の以前にも、NOAAは橋の下の水に眠る秘密を求めて現場を訪れていました。4つの発見の数か月前、彼らは永遠に失われたと思われていたとあるものを発見します。

16名が犠牲になったシティ・オブ・チェスター号

The S.S. City of Chester Took 16 People Down With It
San Francisco Maritime National Historic Park/Wikimedia Commons
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100年以上も行方が分からなくなっていた幽霊船のシティ・オブ・チェスター号を発見したNOAA。この汽船は、サンフランシスコ港からカリフォルニアのユリーカへ最後の旅へに向かっている途中でした。

港から出てほどなくして、シティ・オブ・チェスター号はオセアニック号と衝突します。この事故によってシティ・オブ・チェスター号の舷に穴が空いてしまいました。数分の内に沈没して、16名が犠牲になります。

2014にNOAAによって発見

NOAA Found The Steamship In 2014
San Francisco Maritime National Historic Park/Wikimedia Commons
San Francisco Maritime National Historic Park/Wikimedia Commons

シティ・オブ・チェスター号はゴールデン・ゲート・ブリッジのすぐそばに沈没したにも関わらず、120年間その行方は不明のままでした。しかし2014年、NOAAの研究チームは遂にこの汽船を発見したと発表したのです。

船の場所を特定しただけでなく、ROCを利用して探索にも成功しています。驚くべきことに、かなりの年月が経っているにも関わらずかなりいい状態で保存されていました。

カリフォルニアで最も有名な難破船のひとつを発見

They Found One Of California's Most Famous Shipwrecks
Smallbones/Wikimedia Commons
Smallbones/Wikimedia Commons

しかし、2014年にチームが発見した沈没船はこれだけではありません。同年、NOAAはカリフォルニア沿岸に沈んだ最も有名な難破船の写真を公開します。

1901年、霧深い早朝に狭い海峡を渡ろうとして敢え無く沈没したシティ・オブ・リオデジャネイロ号。岩にぶつかって数分もしないうちに大平洋の冷たい水に沈んでしまいました。

「ゴールデン・ゲートのタイタニック」

Dubbed The "Titanic of the Golden Gate"
KMJKWhite/Wikimedia Commons
KMJKWhite/Wikimedia Commons

シティ・オブ・リオデジャネイロ号に乗船していた219名の殆どが、新しい生活を求めてアメリカにやってきた移民たちでした。210名の内、半数ほどが船と共に沈んでいます。

船が冷たい水の奥底に沈んだのち、人びとはこの船を「ゴールデン・ゲートのタイタニック」と呼ぶようになりました。

NOAAが船の3Dモデルを製作

NOAA Made A 3D Model Of The Ship
Wang He/Getty Images
Wang He/Getty Images

水深88メートルに沈むシティ・オブ・リオデジャネイロ号の沈没地点は、ゴールデン・ゲート・ブリッジからそう遠くない場所に位置しています。かなりの年月水中に眠っていたため、NOAAが安全に引き上げられる方法はありませんでした。しかし、引き上げられなくとも問題はありません。

3Dの模型技術とソナーを駆使し、チームはまだ船が機能していた場合の外観の模型を慎重に製作しました。

シティ・オブ・リオデジャネイロ号で終わらない

The S.S. City of Rio Janeiro Wasn't The End
George Rose/Getty Images
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ゴールデン・ゲート海峡の厳しい流れと潮の満ち引きによって失われていたと考えられていた船の発見は、素晴らしき科学の偉業です。船の位置を特定しただけでなく、現在の船の外観の模型を再現することにまで成功しました。

しかし、NOAAがゴールデン・ゲート海峡で素晴らしい発見をしたのはこれが最後ではありません。1年後、再びソナーに反応がありました。

名前があることが判明したタグボート!

The Tugboat Actually Has A Name!
Frank101/Wikimedia Commons
Frank101/Wikimedia Commons

チームが2014年に発見した名無しのタグボートは覚えていらっしゃいますか?2015年10月、NOAAの研究チームはこの小さなボートの衝撃の秘密を発見します。無名の個人ボートではないことが判明したのです。しかも、かなり長い歴史のある船でした。

タグボートの特徴と書類を照らし合わせ、チームはこの船が1921年に姿を消したUSSコネストガ号であると断定しました。

謎に包まれたUSSコネストガ号

The USS Conestoga Was Surrounded In Mystery
United States Navy/Wikimedia Commons
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第一次世界大戦中に武器と物資を運ぶために利用されていたUSSコネストガ号は、サモアに向かう途中に悲劇に見舞われます。サンフランシスコから32キロほどのメア・アイランドをたった貨物船と56名の乗組員は突如失踪。

1921年以降、船の現在地を特定することが出来ず、謎は未解決のままとなっていました。しかし、NOAAの素晴らしい発見により100年前の船が姿を現したのです。

探索は終わらない

There Is So Much More To Explore
Gazeau J/Andia/Universal Images Group via Getty Images
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NOAAは世界が永遠に失われたと思われていた、100年前の1921年に消えた船を発見することに成功しました。USSコネストガ号を発見することが出来たのであれば、ゴールデン・ゲート・ブリッジの下には他にも驚きが眠っていてもおかしくはありません。

NOAAのチームには一つはっきりわかっていることがあります。ゴールデン・ゲート・ブリッジでの探索はまだ始まりに過ぎないということです。サンフランシスコの海岸沿いにはまだまだ発見すべきものがたくさんあります。

アルカトラズ島の下に位置する軍事施設の発見

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Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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ビンガムトン大学の考古学者グループのお陰で、サンフランシスコ・ベイエリアの新たな謎が明るみになりました。チームはレーザー技術を駆使し、地下にある刑務所の運動エリアの探索に成功します。その結果、人びとのアルカトラズ島に対する認識を覆すような発見に至ったのです。

ビンガムトン大学の発見をご紹介する前に、アルカトラズ島が現在の名前を得た1775年にタイムトラベルしてみましょう。スペイン人のフアン・デ・アヤラが島を「発見」し、「ペリカンの島」を意味する「La Isla de los Alcatraces」と命名しました。ここから、現在のアルカトラズ島という名前がついています。海抜41メートルと海抜42メートルの2つのハイポイントを持つ22エーカーの島。この2つの間にそびえるのが、アルカトラズ刑務所です。

最初の所有者

The First Owner
Robert Alexander/Getty Images
Robert Alexander/Getty Images

世界的に有名な刑務所になる前、アルカトラズ島はジュリアン・ワークマンが所有していました。アルタ・カリフォルニアの州知事であったピオ・ピコが、1846年に牧場主であった彼にこの島を与えたとされています。

ワークマンは元々の約束を実現することができませんでした。出来なかったというよりは、そもそも機会を与えられていなかったのです。所有してから1年も経たないうちに、将校であるジョン・C・フレモントが5,000ドルで島を買収します。

軍へ

Handed Over To The Military
Universal History Archive/Getty Images
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1850年、カリフォルニアがアメリカに売却された2年後、ミラード・フィルモア大統領はアルカトラズ島の権利を軍に移すべきだと命令を下します。これによって、島は軍の基地に変貌し、湾を守るための防御として使用されることになりました。

島の所有者であるジョン・C・フレモントはアメリカからかなりの額を支払われると期待していました。かなりの配当を得られる…はずだったのです。

失敗に終わった戦い

A Failed Fight
MPI/Getty Images
MPI/Getty Images

フレモントにとっては不運なことに、島の購入契約自体が不当だったとして、アメリカ合衆国は島をフレモントから没収。島を失ったフレモントは、一切の支払いを受けることがありませんでした。

損失を埋め合わせようと、長期に渡る訴訟に乗り出したフレモント。仲間の農家と共に、1890年代まで判決と戦います。しかし、最終決定は「フレモントに島の権利はない」というものでした。

3年間に及ぶ待ち

A Three-Year Wait
Wikimedia Commons
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アルカトラズ島を手にしたアメリカですが、行動を起こすまでには3年を要しました。1853年、ジーラス・B・タワーの監修の元、新たな要塞が建設されます。

建設開始までに数年を要しましたが、作業はすぐに行われなくてはいけません。1848年、ゴールドラッシュが始まって人びとがサンフランシスコに押し寄せます!ものの数年で、人口は300から30,000に膨れ上がりました。

湾の防衛

Defending The Bay
Hulton Archive/Getty Images
Hulton Archive/Getty Images

かなりの人数が短期間で押し寄せたため、最優先事項となった防衛拠点の設置。アルカトラズ島を要塞化するという軍事計画だけでなく、アメリカは近くの島であるフォート・ポイントにも防衛拠点を置きたいと考えていました。

アルカトラズ計画が完了し、最も強固な要塞として君臨します。当時、この場所が世界で最も有名な刑務所になるだろうとは誰も知る由もありませんでした。

完璧なロケーション

The Perfect Location
US Army Air Corps/PhotoQuest/Getty Images
US Army Air Corps/PhotoQuest/Getty Images

サンフランシスコ湾は、防衛拠点を置くには最適な島でした。この素晴らしい幸運を技術者たちは信じられなかったほどです。1852年、パシフィック・コースト・ボード・オブ・エンジニアは次のように報告しています。

「自然のお陰で、アルカトラズ島の地形は軍事目的のルドゥート(方形堡)に最適な形に形成されています。港の内側のど真ん中に入口があるため、エンジェル島から北部、サンフランシスコから南部、外側の砲台から西部までの間の内側の空間を砲撃でカバーすることが出来ます」

自然に与えられたものを活用

Using What Nature Provided
National Park Service, Golden Gate National Recreation Area
National Park Service, Golden Gate National Recreation Area

アルカトラズ要塞の早急な建設を託されたジーラス・B・タワーは、自然を大いに活用します。作業員と共に、沿岸いに要塞を築き上げるため島の岩を利用しました。

壁が建てられると、島の周囲に武器を設置していきます。西、南、北の自然の壁の上に武器を配備しました。島には111機の大砲が設置されており、どんな戦いにも準備は万端です。

完全武装

Armed To The Teeth
Staff/Mirrorpix/Getty Images
Staff/Mirrorpix/Getty Images

コロンビヤード砲と呼ばれていた大砲では不十分かのごとく、アルカトラズ要塞には岸から飛び出している石の塔であるカポニアも建設されました。アルカトラズ要塞を奪おうとすれば、当時では類を見ないほどのレベルの困難にぶち当たっていたでしょう。

建設が始まってから1年、城塞が遂に完成します。城塞の灯台のすぐ横には兵舎が立ち並びます。この灯台はアメリカの太平洋沿岸に立てられた初の灯台です。

灯台の防衛

Defending The Lighthouse
Dave Etheridge-Barnes/Getty Images
Dave Etheridge-Barnes/Getty Images

城塞は島そのものを防衛するだけでなく、同時に灯台を防衛していました。攻撃から確実に防衛するために、100名の兵士を収容できるようになっています(有事の場合は200名まで)。兵舎の窓は、ここから砲撃できるようにデザインされています。

要塞が落ちた場合に備え、城塞に閉じ込められた人達が4カ月生き延びるための物資が常備されていました。これだけの時間があれば、支援が到着するかその前に城塞が破られて奪われるかなんらかの動きがあるはずです。

プロセスの完了

The End Of The Process
Camerique/ClassicStock/Getty Images
Camerique/ClassicStock/Getty Images

プロセスを早める計画がされていたものの、アルカトラズ島の要塞計画は1959年までかかりました。このような状況に陥った理由は様々ありますが、最大の原因は腕の利く作業員の不足です。

要塞が建設された当時人びとがサンフランシスコに流れ込みましたが、要塞を建てるために集まったのではありません。金を発見し、手っ取り早く富を得たいだけだったのです。つまり、島で実際に働きたい人を探すことは思ったほどは楽ではありませんでした。

生かされることのない機会

An Opportunity Never Used
MPI/Hulton Archive/Getty Images
MPI/Hulton Archive/Getty Images

南北戦争中、350名がアルカトラズ要塞に駐屯しました。しかし、彼らの存在は無駄に終わります。戦争中に要塞が攻撃を受けることはなかったためです。アメリカ連合国陸軍による攻撃計画があったものの、実際に実行されることはありませんでした。

1863年、アルカトラズ要塞を攻撃しようとした3名が拘束・逮捕されます。10年間の収監を言い渡されたものの…その刑が実行されることはありませんでした。終戦時に、エイブラハム・リンカーンがこの3名に恩赦を与えたためです。

初の囚人

First Prisoners
Paolo KOCH/Gamma-Rapho via Getty Images
Paolo KOCH/Gamma-Rapho via Getty Images

アルカトラズ島は、軍事的な背景よりも刑務所が有名です。興味深いことに、この2つの歴史は重複しています。アルカトラズ島初の囚人は、1859年に収監された軍人でした。

南北戦争中、同拠点はアメリカ連合国の兵士を収監するために使用されました。アルカトラズ要塞は刑務所向けに建設されたわけではありませんが、のちの布石になったことは確かです。

「完璧」な刑務所

perfect prison
US Army Air Corps/PhotoQuest/Getty Images
US Army Air Corps/PhotoQuest/Getty Images

アルカトラズ刑務所が一般の囚人を受け入れ始めたのは1934年からです。島の地形と岸からの距離のお陰で、刑務所としては完璧の場所でした。ここから逃げようとしても、壁の外に自由は見つかりません。

アルカトラズ島を囲む海は凍るほど冷たく、強い海流によって泳ぐことは不可能です。合計で14回の脱獄記録がありますが、本島に行き着いたものは1人もいません。

増え続ける人口

A Soaring Population
PhotoQuest/Getty Images
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一般の囚人の受け入れ前、アルカトラズは戦犯を収容していました。1867年、壁の内側に刑務所が建設されます。30年後の1898年の米西戦争中、刑務所には450名ほどが収容されていました。

それから15年、刑務所はコンクリートの独房が加わり拡大。独房のブロックは、現在でも島で最大の建造物です。1933年、遂に軍事目的の使用が終了し、運営は連邦刑務所局に明け渡されました。

厳しい刑務所長、ジェームズ・A・ジョンストン

James A. Johnston Was A Tough Warden
Bettmann/Getty Images
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アルカトラズ刑務所は、1934年8月11日、初の囚人グループを受け入れます。このグループは「特別」で、連邦刑務所局から慎重に選出され島へと移送されました。別の刑務所で問題を起こして、場所を移動させる必要があった囚人たちです。

彼らを監視していたのが、初代刑務所長であるジェームズ・A・ジョンストン。厳格な人物として知られており、この仕事には適任でした。楽な仕事ではありませんが、155名の看守と共に平和を守っていました。

有名人たち

Some Famous Faces
Donaldson Collection/Michael Ochs Archives/Getty Images
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アルカトラズ刑務所が正式に運営し始めて以来、この場所にはアメリカの最も悪名高い犯罪者たちが収監されています。その中でも最も有名なのが、アル・カポネとジョージ・ケリーと、FBIから「最大の社会的脅威」とまで言われていたとある人物です。

その人物というのが、アルバン・”クリーピー”・カルピス。彼は称号を得た数少ない犯罪者のひとりです。

生き残りはいたのか?

Any Survivors
Warner Brothers/Getty Images
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先ほどお話ししたように、島に収容された計36名の囚人たちによる脱獄未遂が14回発生しています。正式に岸までたどり着いた人はひとりもいません。6名が死亡、23名が逮捕、2名が溺死しました。他の5名に関しては、「失踪中/溺死と推測」に分類されています。

つまり、誰かがアルカトラズ刑務所から脱走したという公式な証拠はないものの、全くあり得ない話ではないということです。ただ、島を取り巻く環境を考えると岸までたどり着いた可能性は少ないでしょう。

生き続けるの脱走計画

An Escape Attempt Immortalized
Bettmann/Getty Images
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脱走計画の中でも最も興味深いのが、13番目の事例です。ジョン・アングリン、クラレンス・アングリン、フランク・モリスの3名が脱走を図りました。複雑な脱獄計画を立て、無事に海まで出ることに成功したのです。

この出来事はクリント・イーストウッド主演の1979年の『アルカトラズからの脱出』で映画化されました。しかし、物語はここで終わりではありません。2013年、「ジョン・アングリンによって執筆された」手紙が警察に届けられます。脱走した3名が凍えるようなサンフランシスコ湾を生き延びたということは本当にあり得るのでしょうか?

一体どういうこと?

What Does It All Mean
Robert Alexander/Getty Images
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アルカトラズ刑務所が閉鎖すると、この場所は人気の観光地となりました。しかし、ティモシー・デ・スメット率いるビンガムトン大学のチームが島に惹かれたのは観光目的ではありません。

地下を探索するため、考古学チームはコンクリートの層を射抜くレーザーを駆使しました。この素晴らしい技術のお陰で、チームは富を生み出す人気の観光地に損傷を与えることなく地下を探索することが出来たのです。

耐爆弾

Bomb-Proof
Binghamton University/YouTube
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レーザー技術のお陰で、チームは島の軍事時代の構造がまだそのまま残っていることを突き止めました。その構造の下にはさらなる秘密が眠っています。チームが「耐爆弾の土木柵」と呼ぶ構造が見つかったのです。

このトンネルは2019年時点で完璧な状態を維持しており、移動する人達が快適なように換気シャフトまで設置されています。これらの構造は軍事拠点の一部であり、デ・スメット達が「再発見」するまで長きにわたって忘れ去られていたのです。

発見の重要性

Importance Of The Discovery
Binghamton University/YouTube
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ティモシー・デ・スメットは、島の下をレーザーで探索することで何が得られるのか全く予期していませんでした。古い構造の発見を期待してはいたものの、これほど保存状態が良いとは思ってもみなかったのです。

「アルカトラズ刑務所のレクリエーション広場など、島の複数の場所の地下に眠る考古学的遺跡の存在を確認するための非侵襲性かつ非破壊的な方法が必要でした。しかし、どのような状態かは皆目見当もつかなかったのです」と話すデ・スメット。この発見が重要である理由は、これだけではありません。

考古学の未来

The Future Of Archaeology
Gili Yaari/NurPhoto via Getty Images
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これほどの重大な発見であれば、非侵襲性の新たな考古学的調査への布石となりえます。これこそ、デ・スメットの発見の最も素晴らしい点ではないでしょうか。

デ・スメットは、考古学の未来は明るいと考えています。「現代のリモートセンシング法を駆使することで、多額の資金と破壊的な発掘作業を行わずに、人間のふるまい、社会的組織、文化的変化などの基本的な考古学的研究の疑問の答えを導き出せるかもしれない」