ロマノフ家の貴重な最後の写真

ロマノフ家がロシアを治世していた頃、すでに人々の間では支配階級に対する不満が積もっていた。しかし、一連の暴力的な弾圧と第一次世界大戦でのおびただしい死傷者数が引き金となってロシア革命が起こり、ニコライ2世をツァーリ(皇帝)とするロマノフ王朝は崩壊した。

ここでご紹介する写真の数々は、1918年、実質的にロマノフ王朝が崩壊するまでの王家の暮らしぶりを表している。残忍な支配をしいたロマノフ家だが、その墓が見つかったのは死後60年以上経ってからだ。ロマノフ王朝にまつわる衝撃的な事実や、プライベートな王家の写真をご覧いただきたい。

ロマノフ家の墓、1979年に見つかる

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Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images

ロマノフ家の処刑後、ソビエト連邦の指導者らの指示のもと、遺体は2ヶ所に分けて埋葬されており、墓標もなく、その場所自体も秘密にされていた。在野史学者らによって皇帝一家の墓が見つかったのは1979年のことだが、その後の遺伝子検査によって、墓はロマノフ家のものであることが証明されている。

ロマノフ家の遺骨は掘り起こされ、エカテリンブルグにある法医学検査局に移された。在野の史学者らによってニコライ2世、アレクサンドラ、そして娘のオリガ、タチアナ、アナスタシアの遺体が発見されたものの、アレクセイとマリアの遺体は2007年まで見つからなかった。そしてこの後、一家の銃殺事件について数々の調査が再開されることとなった。