歴代ファーストレディーのファッション

いつの時代にもアメリカのファーストレディーには、国民の厳しい視線が注がれている。綺麗なドレスや、それを提供しているデザイナーを含め、歴代のファーストレディーのファッションに注目してみよう。また、特に最近のファーストレディーにまつわる論争についてもご紹介しよう。

マミー・ダウド・アイゼンハワー、ファッションがお好き

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マミー・アイゼンハワーはテキサス州サンアントニオで、未来の夫で後にアメリカ大統領となるドワイト・D・アイゼンハワーと出会った。当時ドワイトは軍人だったため、2人はドワイトが大統領に立候補して圧倒的勝利を収めるまで、移動の多い生活だった。マミーは、これまでの大統領夫人と異なり、ファッションに大いに関心を寄せていた。

さらにマミーは、客人をもてなすのも得意だった。スカージやモリー・パーニス、トリファリ、サリー・ビクターがデザインしたドレスを好んで着用し、当時「最もオシャレな女性」の1人だと言われていた。かのディオールに影響を受けたとされる「マミー・スタイル」と呼ばれるスタイルまであった。

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マミー・スタイル

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マミー・スタイルとは、チャーム・ブレスレットや真珠などたくさんアクセサリーをつけ、短い前髪をつくったショートカットに小さな帽子をかぶり、丈の長いスカートを合わせたスタイルだ。1953年、マミーは就任式にネティ・ローゼンスタインがデザインしたドレスを着用した。ピンクのポードソア(シルク)に、手縫いで2,000個以上ものラインストーンがつけられた印象的なドレスだった。

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マミーはこのドレスにトリファリの手袋と宝石、ジュディス・ライバーのビーズ付ハンドバッグ、デルマンの靴を合わせている。この就任式のドレスは、スミソニアンのアメリカ歴史博物館に展示されており、人気が高い。マミーが着用したことによって、当時こうした色合いのピンクがとても流行った。

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ジャッキー・ケネディ

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ジャッキー・ケネディは歴代のファーストレディーの中でも最も有名なファーストレディーの1人だが、ファッション好きとしても知られている。ジャッキーがジョン・F・ケネディに出会ったとき、ジョンは既に議員となっていたが、さらに上を目指していた。1960年にジョンが大統領に就任したときにも、まだ若かった2人は、誰もが羨むほどの美男美女カップルと言われ、そのファッションにも注目が集まった。この頃、ちょうどアメリカでテレビや映画が文化の中心となり始めた頃だった。

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ジャッキーはファーストレディーとして、常にそのファッションをメディアに取り上げられていた。ジャッキーが身につけたものは必ずヒットし、その人気は国内だけにとどまらず、国際的にも人気を博した。特に、オレグ・カッシーニのデザインした服を愛用して「ジャッキー・ルック」を生み出した。

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ジャッキー・ルック

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ジャッキーはメディアに対して常に注意を払っており、ファーストレディーとして、初めて報道官を雇ったのもジャッキーだった。自分がどのように見られるかを計算するだけでなく、子ども達の写真にまで細心の注意を払っていた。メディアは「理想の女性」として彼女の一挙一動を追いかけた上、ケネディ家の家族も理想だとして、まるで、アメリカの王室のように取り上げていた。学者のモーリン・ビーズリーによると、ジャッキーは「彼女以降のファーストレディーが達成するのが難しいほどに、メディアのファーストレディーに対する期待値を上げた」と述べている。

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就任式には、デザイナーのイーサン・フランコウと共同でデザインしたドレスを着用した。銀色の糸で刺繍が細かくほどこされたオフホワイトのノースリーブのシフォンドレスに、白っぽいケープをまとっていた。当時、ジャッキーは白黒テレビで放送されることが分かっていたため、その画面でも映える色を選んだのだ。もちろん、そのドレスも流行った。

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ジャッキー・ケネディのウェディングドレスにもドラマが

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1953年、ジャッキー・ブーヴィエはウェディングドレスをデザイナーのアン・ロウに依頼した。だが結婚式の10日前にロウのスタジオがあるマディソン・アベニューの水道管が壊れ、スタジオ中がめちゃくちゃになってしまった。その結果、制作に2ヶ月もかかったジャッキーのドレスを含め、ウェディングドレスが10着も台無しになってしまったのだ。

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パニックになりながらも、ロウは再度ドレスを作るため、フランスからアイボリー色のタフタ生地とピンクのシルクでできたファイユを注文した。そして、ロウと裁縫師らはぎりぎりのタイミングで、クラシックなネックラインとブッファン・スカートが素敵なウェディングドレスを作り上げることに成功したのだった。この時のドレスは、今なお、最もアイコニック(象徴的な)ドレスだと言われている。

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ベティー・フォードのシンプルなファッションの意図

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ファーストレディーが何を着ているかよりも、ファーストレディーとしてどのような活動を行っているかに世間は注目している。ベティーはフェミニストで、依存症治療機関「ベティー・フォード・センター」を設立した。その一方で、ベティーのファッションも評価すべきだろう。

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ベティ・スタイルも多くの人に影響を与えた。シンプルだったが、だからこそ、何を着ようか迷ったときに誰にでも真似できるスタイルだったのだ。ジェラルド・フォードの横で、夫を引き立てる内助の功をよく果たした女性だった。

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ベティー・フォード、2度目の結婚式には白を着用せず

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エリザベス・アン・"ベティー"・ブルーマーは、1948年、ミシガン州のグランド・ラピッズにあるグレース監督教会で、ジェラルド・フォードと結婚した。ベティーにとっては2回目の結婚式だったために白いウェディングドレスこそ着なかったが、パンプスと色を合わせた光沢のあるドレスでとても美しかった。最初の夫、ウィリアム・G・ウォーレンはアルコール依存症だったため、前年の1947年に離婚している。

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ベティーがジェラルドと出会った後、彼は下院選に出馬したが、ニューヨーク・タイムズによると「ジェリー(ジェラルド)は離婚歴のある元ダンサーと結婚することで有権者が離れてしまうことを恐れたため」結婚式を遅らせたそうだ。

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人気のファーストレディー:ナンシー・レーガン

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ナンシー・レーガンは、ロナルド・レーガン大統領夫人だ。ロナルドは有名な映画俳優でスポットライトを浴びることに慣れており、派手な祝祭などの行事も苦手としなかった。ロナルドの就任式にはこれまでで最も経費がかかったと言われているが、当時、アメリカ全体が不況の最中にあったために批判を招くこととなった。

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ナンシーは初めての就任舞踏会で、シルクのサテン生地にレースを重ね、白のビーズが散りばめられたワンショルダーのドレスを着用した。ロナルド・レーガンが二期目に選出されたとき、ナンシーはガラノスがデザインしたドレスを着用したが、この時もまた純白色にビーズをあしらったものを選び、長袖のボレロを重ねている。このドレスにあしらわれたビーズは、スタッフ総がかりで300時間以上かけて手作業で縫い付けられたと言われており、およそ500万円と推定されている。

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ナンシー・レーガン、授かり婚でシンプルなドレス

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ナンシー・レーガンは1940~1950年代にかけて女優として活躍し、ロナルド・レーガンと出会う前にはクラーク・ゲーブルなど、さまざまな俳優と浮き名を流した。そんなナンシーがロナルドと出会ったのは1949年、ロナルドが映画俳優組合の委員長を務めていたときのことだ。当時ロナルドはジェーン・ワイマンとの離婚経験から、結婚には前向きではなかった。

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ロナルドとナンシーはそれから3年間の交際期間を経て、1952年に結婚している。結婚式はロサンゼルスのリトル・ブラウン教会でメディアを避けるために急遽行われた簡素な式で、新郎付添人と新婦付添人のみがいただけだった。当時ナンシーは妊娠しており、フリルなどのついていないシンプルなドレスを着用した。

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ヒラリー・クリントンのファッション感

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ヒラリー・クリントンにはファッションのセンスがあり、実際、数々のインタビューでも身につけているものについて尋ねられている。また、よく髪型を変えることでも知られている。多くの人がヒラリーのファッションや髪型に夢中になったが、実際、ヒラリーにとってはあまり大したことではなかったようだ。ファーストレディーを務めた頃に(大統領の浮気など)さまざまなことがあったが、常に自分のスタイルを維持していた。

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2011年に『ハーパーズバザー』誌のインタビューで、ヒラリーはファッションについて語っている。「このフェラガモのショッキングピンクのバッグが大好きなんだけど、買ったときにはね、春にピッタリだなと思っていたの。だけど、持っているだけでハッピーな気分になるし、結局1月になっても持ってるわ。だって、こんな大きな明るいピンク色のバッグを持ってるのに、ハッピーじゃないことなんてないじゃない?」

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ヒラリー・クリントン、ウェディングドレスはデパートで

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ヒラリー・ダイアン・ロダムが未来の大統領、ビル・クリントンと出会ったのは、1971年、共にイェール・ロー・スクールに在籍しているときだった。ビルが見つめていたことに気づいたヒラリーがビルに歩み寄って、自己紹介したと言われている。そこから交際に発展し、3年後にビルがプロポーズした。ビルは盛大に結婚式をあげたがっていた一方、ヒラリーは婚約指輪のことさえ、あまりこだわっていなかった(ビルは一応婚約指輪を贈っている)。

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結婚式は身内と近しい人達だけで行われたが、ヒラリーは前日までドレスを用意していなかった。そのため、ヒラリーの母親がフェイエットビル・モールにあった大手デパートのディラーズに行き、ジェシカ・マクリントックがデザインしたビクトリアスタイルの繊細なレースがあしらわれていたドレスを用意した。また、結婚式は自宅のリビングルームで行っている。

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ローラ・ブッシュのエレガントな装い

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ローラ・ブッシュはジョージ・W・ブッシュの妻だ。最初の就任式では、前任のヒラリー同様、テキサスでデザインされ、クリスタルが縫い付けられていた真っ赤なドレスを着用した。また、義母でファーストレディーを務めたバーバラの意見を取り入れて、真珠も身につけていた。

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ブッシュが二期目に当選したとき、同時多発テロ事件を経験したアメリカは、これまでとまったく違う国のようになっていた。ローラはヒラリーの助言を基に、オスカー・デ・ラ・レンタの淡青色とシルバーのチュールに、オーストリアのクリスタルが散りばめられたドレスを選んだ。明らかに、ファッションには共和党、民主党などの垣根はなく、どちらを支持していようと良いものは良い。

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ローラ・ブッシュ、控えめに

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Pam Francis/Liaison/Getty Images
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ファッション界でよく言われることわざだが、他でもよく当てはまるものに「過ぎたるはなお及ばざるが如し(少ない方が効果的)」ということわざがある。これがローラ・ブッシュのファッション哲学であるようだ。確かに、ローラはどこに顔を出そうともパーティーの華となっていたが、それを良しとしているようではなかった。ダラスのファッション・デザイナーは、就任式でのメラニア・トランプのファッションは正解だったと述べた後で、ローラについてこう語っている。

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「ブッシュ夫人の素晴らしかったところは、派手で目立つ服を着ないように常に気を配っていらしたところです。他にもっと大切なことがあるというお考えでしたから。」

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ローラ・ブッシュ、結婚式にもシンプルなドレスを

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Tasos Katopodis/Getty Images for National Archives Foundation
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ローラ・レーン・ウェルチは1977年11月5日、テキサス州ミッドランドにある、幼い頃に洗礼を受けた教会でジョージ・ブッシュと結婚した。新郎新婦は、未来の大統領夫妻となるジョージ・H・W・ブッシュとバーバラ・ブッシュに付き添われて写真におさまっている。義母と違って、ローラは従来の華美なウェディングドレスを選ばず、シンプルな黄褐色のドレスを着用した。

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ローラは同年7月に友人宅のバーベキューパーティーでブッシュと出会い、3ヶ月の交際後に婚約した。ジョージはその後1995~2000年に渡ってテキサス州知事に就任し、2001年にはアメリカ大統領に就任した。

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ミシェル・オバマ、最初の就任式のドレス

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ミシェル・オバマは大統領バラク・オバマの妻だ。ミシェルとバラクは、アメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人大統領夫妻としてホワイトハウスに足を踏み入れ、多くの壁を取り払ったと言われている。ミシェルは就任式にジェイソン・ウーがデザインした純白でシフォン地のワンショルダードレスを着用した。ジェイソン・ウーはこれまでにもファッション界では知られていたものの、ミシェルがこのドレスを着用したことで、国際的にも一躍有名となった。

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ケネディ家と同様に、オバマ大統領も就任時にはまだ若く、時代が変わろうとしていたことは明らかだった。ウーは、白は希望の象徴だと語ったが、まさにそれがオバマ大統領の政策の基盤となっていた。

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ミシェル・オバマ、二期目の就任式のドレス

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2013年、ミシェルは二期目の就任式に、再びジェイソン・ウーが手掛けたホルターネックで、赤のシフォンとベルベット地を使ったドレスを選んだ。さらに宝石デザイナーのキンバリー・マクドナルドのダイアモンドの指輪と、ジミー・チュウの靴を合わせていた。

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ジェイソン・ウーは、ニューヨーク・タイムズ誌のインタビューで「ファーストレディーに再び選んでいただけて光栄だ」と語っている。若くして大統領になったジャッキーのように、ミシェルのファッションも常に注目を集め、ファーストレディーでありながら3度もヴォーグ誌の表紙を飾るなど、世界中のファッション・アイコンとなった。ミシェルのファッションが現代のスタイルと合っていたのだろう。

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ミシェル・オバマの90年代のウェディングドレス

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未来の大統領バラク・オバマとミシェル・ロビンソンが出会ったのは、シカゴにあるシドリー・オースティン法律事務所に勤めていたときだった。法律関連で縁が生まれたのはクリントン夫妻と同じだ。ミシェルは当初、同僚と交際することに気乗りしなかったのだが、1989年、バラクはついにデートに誘いだすことに成功する。それから3年後の1992年に結婚した。

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2人はシカゴにあるトリニティ教会で挙式した。ミシェルの兄がバージンロードを共に歩き、スティーヴィー・ワンダーの「ユー・アンド・アイ」に合わせてダンスした。ウェディングドレスに、ミシェルは袖の尖ったデザインがポイントとなっている肩まで大きく開いた綺麗な白いドレスとヴェールを選んでいる。

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賛否両論のメラニア・トランプ

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メラニア・トランプはドナルド・トランプ大統領の妻だ。ドナルドに出会う前、スロベニアからビザを取得してアメリカに移民したファッションモデルだった。元モデルだったこともあり、メラニアは実際にヌード写真が存在するという意味でも、非常に型破りなファーストレディーだった。

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だが、金が散りばめられたトランプタワーに住む億万長者であるにもかかわらず、就任式では控えめなドレスを選んでいる。大規模な抗議があった中、メラニアはエルヴェ・ピエールと共にデザインしたドレスを着用した。

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メラニア・トランプ、ハイヒールが好き

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2017年9月、メラニア・トランプはハリケーン「ハービー」で被災したテキサス州をハイヒール姿で視察に訪れたとして批判された。こうした被災地に来るのにハイヒールは相応しくないとして、ソーシャルメディア上でメラニアはこき下ろされた。

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さらに災害中にもかかわらず、ファッションに関するコメントを出したことで批判はますます増加した。また、こうした批判には、アメリカ人の実態を把握しておらず、服にしても実用的ではなく、見た目だけを重視しているというものもあった。二度目にトランプ大統領と同地の救済センターを訪問した際には、飛行機の中でスニーカーに履き替えている。

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ヘレン・タフト、就任式パレードに初めて参加したファーストレディー

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ヘレン・ハロン・タフトは18歳の時、ボブスレーで未来の夫ハワード・タフトと出会い、その後長年の交際期間を経て結婚した。ヘレンは幼い頃からネリーと呼ばれることを好んでいたという。ネリーは夫が州の判事、訴訟長官、連邦判事と、次々とキャリアアップしていく様をそばで支えた。

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ネリーは大統領の就任式パレードで夫と共に参加した最初のファーストレディーとなった。そして、その晩の舞踏会では、豪華絢爛な純白のシフォン生地に金色の糸で刺繍がほどこされたドレスを披露した。だが、就任式からわずか2ヶ月後に脳卒中によって倒れている。ホワイトハウスでの役割を全うしたいと望んだネリーは、自身がその役割を果たせるようになるまで、妹たちの助けを借りたという。

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パット・ニクソン、激動の時代のファーストレディー

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パット・ニクソンはリチャード・ニクソンの妻だ。ニクソンが大統領に就任した当時、ベトナム戦争に反対する人々や、マーティン・ルーサー・キングの暗殺に抗議する大規模な社会運動が巻き起こっていた。

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ニクソンはアメリカの「法と秩序」を回復することを目標として掲げており、ニクソンのスタッフでさえ、同氏が公民権運動や反戦抗議運動を違法とする方法を模索していたことを認めている。これは明らかにニクソンの思うようにはいかなかったようだ。パットは就任式に黄色の生地に、金色と銀色の刺繍がほどこされ、オーストリアのクリスタルが散りばめられたドレスを選んだ。

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大統領夫人で、かつ大統領の母ともなったファーストレディー

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バーバラ・ブッシュはジョージ・H・W・ブッシュの妻だが、残念ながら2018年に死去している。夫が大統領に就任する前に、レーガン大統領の下で副大統領を務めていたということもあり、ファーストレディーになったときにはすでに、ホワイトハウスのあり方などにある程度慣れていた。大統領就任式のドレスにはアーノルド・スカージのロイヤルブルーのベルベットとサテン生地でできたドレスを選び、若々しく見せている。

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スカージがデザインしたドレスは、マミー・アイゼンハワーの時代から長年ファーストレディーに愛用されていた。そのため、バーバラは敢えてスカージのドレスを選ぶことで、一般大衆に対して、保守的だとアピールしたかったのかもしれない。さらにドレスには、ダイアモンドの代わりに真珠を合わせている。そんな彼女は「アメリカで最も華のあるおばあちゃん」と呼ばれている。

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イーディス・ボリング・ウィルソンの悲劇

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イーディス・ウィルソンは、夫ウッドロウ・ウィルソンがすでに大統領に就任した後に出会って結婚したため、就任式にドレスを着る機会はなかった。イーディスは若くして最初の夫を亡くし、未亡人となっていた。初めての息子を生後数日で亡くして以降、妊娠することは難しかったようだ。

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そんなイーディスがウッドロウに出会ったのは1915年、ウッドロウも最初の妻を亡くし寡夫となっていた頃だった。そんな2人の関係が、実は最初の妻が亡くなる前から始まっていたのではないかと噂する者もあり、ウッドロウはイーディスを気遣って、婚約を破棄してもいいと言ったという。しかしながらイーディスは「私は婚約者である大統領のそばにいます。それは義務だからとか、可哀想だからだとか、それが名誉なことだからとかではなく、愛しているからです。」と答えたという。なんてロマンチックなのだろう!

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レディ・バード・ジョンソン、粛々としたムードの中の就任式

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レディ・バード・ジョンソンはリンドン・ジョンソン大統領の妻だ。ご存知の通り、リンドン・ジョンソン大統領は、ケネディ大統領暗殺後により大統領に昇格した。こうした経緯からも、その就任式はいつもと違って喜ばしいムードだけではなかった。

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レディ・バードはジョン・ムーアがデザインした黄色いドレスを着用した。これは大統領暗殺により国家全体が沈んだムードにある中で、意図的に希望の象徴である色を選んだことによる。ホワイトハウスに入った後も、経済的に苦しい家庭の子ども達でも教育の機会が得られるよう「ヘッド・スタート・プログラム」を開始するなど、意欲的に活動した。レディ・バードももちろんファッションは好きだったようだが、何よりも他の重要なことに集中したかったようだ。

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ルー・ヘンリー・フーヴァー、ヴォーグ誌を飾る

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ルー・ヘンリー・フーヴァーはハーバート・フーヴァーの妻だ。2人はスタンフォード大学で地質学を専攻していたが、当時、地質学を専攻していた女性はルーだけだった。ルーは国内の女性から「最もオシャレな女性」の1人だと言われており、「ヴォーグ」誌の表紙を飾った初めてのファーストレディーだった。

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また、当時は海外から輸入されたファッションを着ている女性が多かったが、ルーはアメリカ製の洋服にこだわった。中でも、国内の木綿工業を支援するために、綿が入ったドレスを選んでいた。そんなルーが就任式に選んだのは、風格漂うシルククレープの入ったシンプルな形にメタリック・スレッドでブロケードの入ったドレスだった。

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エレノア・ルーズベルトの名を冠した色

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エレノアは歴代のファーストレディーの中でも、最も有名なファーストレディーの1人だろう。夫であるフランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領となってから、フェミニズムなどの公民権運動に積極的に関わった初めてのファーストレディーだった。幅広い分野に関心を寄せていることは明らかだったが、エレノアはことファッションにはそれほど関心がないようだった。

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しかし、スレートブルーの上品なクレープの入ったドレスはとても似合っており、後々この色は彼女の名を取って「エレノア・ブルー」と呼ばれるほどになった。ドレスはサリー・ミルグリムが手掛けたもので金色の葉と花の模様が入っていた。1933年当時のまさに映画女優が着用していたようなドレスとよく似通っていた。

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フローレンス・クリング・ハーディング、現代的なファーストレディー

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フローレンスは当時、「マリオン・スター」と呼ばれた新聞紙の経営者であったウォレン・ハーディングと結婚した。フローレンスは「右腕として」経営で手腕を発揮している。さらに頭脳明晰だったフローレンスは、ウォレンが政治家となり、大統領となった後にも、政治問題について率直に発言し、時には大統領自身よりも自身の意見を述べていたとも言われている。また、上品なパーティーをもてなすのも得意だったフローレンスは「公爵夫人」とも呼ばれていた。

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フローレンスは当時のファッションにも敏感で、当時新しかったシルクのネックバンドを首に巻き、シワを隠していた。さらに、飛行機で移動したり、夕食後に映画を上映したりと「現代的」な要素も積極的に取り入れていた。また、禁酒法時代にもかかわらず、招待客に酒をふるまったとも言われている。フローレンスは投票権を得た初めてのファーストレディーであり、映画撮影用カメラだけでなく、ラジオを所有し、ホワイトハウスに初めて有名人を招いたのも彼女だった。就任式では、ハリー・コリンズが手掛けた、パールカラーのスパンコールがチュール地にちりばめられ、ブルーのベルベットリボンにラインストーンが並んだドレスを選んだ。

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グレース・クーリッジのフラッパースタイル

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グレース・グッドヒューは口の達者な弁護士であった夫カルビン・クーリッジと出会ってすぐに婚約した。2人の関係を母親に反対され、カルビンとグレースの母親の不和はその後も改善されることはなかったが、2人は仲睦まじく添い遂げている。カルビンは物事の変化をあまり望まなかったため、ホワイトハウスに移った後にも、あまり装飾を変えるようなことをしなかった。

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二期目には、あまり大規模な場に姿を現すことはなく、気心の知れた友人のみで集まることを好んでいた。そのため、グレースにとっては豪華な夜会用ドレスなどあまり着る機会もなかったものの、就任式には当時の流行を押さえたドレスで着飾っている。1920年代だったため、黒と金のメタリックなレースが入ったベルベット地に金のラメが入ったフラッパースタイルのドレスを選んでいる。

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アイダ・サクストン・マッキンリーのユニークなスタイル

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歴代の大統領とファーストレディーを研究する歴史学者らは、アイダ・サクストン・マッキンリーに関しては、皆似たような考えだ。アイダはユニークなファッションスタイルで、好みがハッキリしていた。これは紛れもなく事実で、アイダには自身の定番スタイルまであったのだ。

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定番スタイルとは、立ち襟とシフォン地のインサーションだ。さらに、着ている服の印象を柔らかくするため、ピンタックのトリミングを施していた。当時のファッションを押さえており、アンダースカートにはプリーツの入ったフリルを身につけていた。そう、アイダはオシャレな女性だった。

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政治に関心のなかったファーストレディーのファッション

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ベス・トルーマンはハリー・トルーマン大統領の妻だ。2人は子どもの頃から同じ学校に通った。ベスは政治や政治情勢にまったく関心を示さなかった。

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あまり乗り気ではなかったものの、ファーストレディーとなってからはその義務をきちんと果たした。ハリーが最初に大統領になったのは、フランクリン・ルーズベルト大統領が急死したためで、アメリカは世界大戦の最中だった。世の中は、お気楽で単純な時代ではなかった。そのため、就任式のドレスにはマダム・ポーラが手掛けた明るい色のドレスを選び、毛皮のケープを羽織っていた。

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雑誌の表紙を飾ったファーストレディー

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フランシス・フォルサム・クリーブランド・プレストンは当時、ファッションリーダーとして知られていた。「レズリーズ」や「ハーパーズ」の表紙を飾ったこともあるフランシスだが、当時は両紙とも膨大な発行部数を誇っていたことからも、ファッションリーダーとしての影響力の強さを物語っている。ウェディングドレスも、ワシントン・ポスト紙から高い称賛を得ていた。

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「シンプルなペチコートに、アイボリー色のサテンで作られたカシュクールの白いドレスを重ね、インドの綿モスリンで作られたコサージュがあしらわれた精巧なドレスで、目を奪われるほどに美しい。さらにオレンジ色の花の装飾が、頭飾りのベールから衣装全体に高い技術でもってあしらわれている。」とワシントン・ポスト紙は評価している。

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ロザリン・カーター、不況の中で

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ロザリン・カーターはジミー・カーター大統領の妻で、2人とも健在だ。カーターが大統領に就任したときのアメリカは不況にあえいでいたため、豪華な舞踏会ではなく、「人々のための就任式」と銘打って、2,500円という手ごろな価格でチケットを販売した。ロザリンは、カーター大統領が州知事をしていたときに着用したドレスを再び着用していた。

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それは、ノースリーブの青いシフォン地に金色でトリミングされたドレスだった。ロザリンは、国民が不況にあえいでいるのに自分達が贅沢をすることはないと公にアピールしたかったのだが、どうやらうまく伝わらなかったようだ。

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キャロライン・ハリソンの就任式のドレス

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キャロライン・ハリソンはオシャレな女性で、新聞紙でも取り上げられ、ファーストレディーとしての品位を保つにふさわしいスタイルを選んでいた。多くのファーストレディーにとって就任式のドレスは、自身の要求を反映させる初めての公式なドレスとなるが、ハリソンはドレスの背中にドングリを縫い付けさせた。

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これはインディアナ州での立場を象徴していた。彼女は大統領夫人の立場まで登りつめたが、出自を決して忘れることはなかった。フィラデルフィア・タイムス紙は、「次期大統領夫人はアメリカ人女性の手本となるべき思慮深い女性だ。」と評している。

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エレンの時代、大衆の関心は大統領の装いのみ

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エレン・アーサーの夫チェスターが大統領に就任した時代には、ファーストレディーのファッションに注目が集まることはなかった。一方で、アーサー大統領は自身のスタイルを確立しており、注目を浴びていた。

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実際、大統領のスタイリッシュな装いは常に一般大衆やメディアの注目の的となっていたのだ。エレンのファッションセンスなど誰も関心を示さなかったが、エレンにとってはその方が良かったのかも。

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パット・ニクソン、こっそり流行を取り入れる

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パット・ニクソンがファーストレディーだった頃、夫ニクソン大統領には多くの課題が並んでいた。しかし、だからといって、パットのさりげないファッションを無視することはできない。パットが特に目立たない生徒だと仮定する。いつもは目立たないが、大統領のそばに並ぶときには、自然と称賛を集めるのだ。

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たとえば、上の写真(右)を見るとお分かりのように、パットは当時流行っていたミニスカートを履いている。パットが流行のものを身につけることは稀だったが、それでも流行りの服装を取り入れたときには、ピシッと決まっていたのだ。

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毎日のスキンケア

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ファーストレディーの中でも、特に美しいジャクリーン・ケネディが行っていたのは、スキンケアの習慣を維持することだった。今日では、スキンケアについてのチュートリアル動画をYouTubeで流し、それを生業にしている女性もいる。そして、何百万人もの視聴者がこうした女性のスキンケア法を閲覧している。

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ジャクリーンは当時、多くの女性がそのファッションやメイクなどを真似する憧れの存在だったが、それこそが正にジャクリーンの狙いだった。まるで真剣に練習を繰り返すアスリートのように、ジャクリーンは熱心にスキンケアに取り組んでいた。毎日使っていたのは泥石けんだったという。

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初代ファーストレディー

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アメリカの初代ファーストレディーとして、ワシントン夫妻には多くの課題があったことだろう。穏やかな人柄で、人々を統率することはできなかったかもしれないが、ファーストレディーとしての役割が終わるころには、そのあり方が確立された。

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マーサ・ワシントンが得意としていたことの1つにファッションがある。当時、最も裕福な女性の1人だったマーサだが、実用性を重視していたと言われていた。だが、2009年、マウントバーノンでマーサが結婚式に履いていたという濃い紫色のシルクでできた靴が展示されたことで、これまでは上品な女性というイメージだったが、実際には少し大胆な女性だったのではないかと言われている。

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マノロブラニク的な靴

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ワシントン夫人の紫色の靴は、当時のファッションと現代のファッション界とを比較するきっかけとなった。ワシントン夫人についての伝記を著したパトリシア・ブラディは、ワシントン・ポスト紙に「この靴は当時でいうマノロブラニクのようなものでした。」と語っている。かなり裕福だったマーサが、当時のファッションを楽しんでいたとしてもおかしくない。

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マーサ・ワシントンは常に高価な衣服を身につけていたに違いない。使われていた生地一巻きは、現在の価格にしておよそ260万円ほどだと言われている。歴史学者らは、マーサが当時の国家についてもコメントしていたと述べている。国立アメリカ歴史博物館に行けば、マーサの衣装を見ることができる。

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真のファッションリーダー

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ドリー・ペイン・トッド・マディソンは、彼女以降のファーストレディーの模範となったと言える。親しみやすく、もてなし上手だったという。第4代アメリカ大統領は、そんな彼女に支えられラッキーだったと言える。ドリーは正式に教育を受けてはいなかったが、それでも機知に富んでいた。

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ドリーは多くの人から好かれていたが、人々の心に強く印象付けるファッションセンスを持っていた。1809年のジェームズ・マディソンの就任式では、淡い黄色のベルベット地に真珠をあしらったドレスに、大きな羽根飾りのついたターバンを選んだ。ワシントンの初期年代記編者はその様子について、「まるで女王のようでした。ドリーのように完璧に着こなして振る舞うことは誰も真似できなかったでしょう」と記している。

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ホワイトハウスの有名人

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ジュリア・タイラーはジョン・タイラー大統領夫人となったが、ファーストレディーとしての任期は短かった。ジョン・タイラーは何度も求婚したがなかなかよい返事をもらえなかったのだ。フリゲート艦プリンストンの爆発事故によって父親を失ったジュリアはジョンに慰められ、その年の暮れに結婚している。

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ジュリアはホワイトハウスで有名人のように扱われた最初の女性と言われている。大手百貨店はジュリアを広告塔にすれば、もっと集客が見込めるため、広告宣伝費を支払うほどだった。さらにファッションリーダーとして新聞紙の表紙を飾り、そのファッションセンスも認められていた。あるイベントでは、クジャクの羽根をあしらった頭飾りのついたトレーンを身につけている。

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「民主党の女王」

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ハリエット・レーンは婚姻関係によってファーストレディーになったわけではないが、ジェームズ・ブキャナンのため、その役割を見事につとめた。ハリエット・レーンが孤児となったときに、伯父であったジェームズが引き取ったのだ。「民主党の女王」と呼ばれ、ファーストレディーの役割を嬉々としてこなした。そしてファーストレディーになった当初から人気が高く、ハリエットの髪型や服装スタイルを多くの女性が真似した。

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どの時代でも、脚光を浴びている人にスキャンダルは欠かせない。ハリエットの就任式のドレスは噂の的だった。ハリエットが選んだのは、襟ぐりの深いヨーロッパ風のドレスで、胸元から腰にかけて花飾りがほどこされていた。誰からも褒められる素晴らしいドレスだったが、4年後にメアリー・トッド・リンカーンがそのドレスのデザインを模してつくらせるほどだった。

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名門の出のファーストレディー

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Glasshouse Vintage/Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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あなたの周りに裕福な家庭で育った人はいるだろうか?誰もが知っている人で、そんな環境で育った人と言えば、メアリー・トッド・リンカーンが挙げられるだろう。名門の出だったため、ファーストレディーとして振る舞うために必要な教養などはすでに身につけていた。夫が奴隷制などの困難に立ち向かっている一方で、メアリーはホワイトハウスの秩序の維持に尽力した。

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ファッションに関して言えば、ハリエット・レーンのスタイルを真似たことは前出の通りだ。それ以外のドレスはほとんどが派手で、1枚あたりおよそ20万円以上の価値があるものばかりだった。

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ヘアスタイリストは必須

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誰にとっても髪型は重大なポイントで、特に上手にセットする人を見つけるのは極めて重要だ。奇跡的にも、あなたの髪をうまく扱える人を見つけ出せたならば、もう他の人には触ってほしくないだろう。髪型はファッションの中でもかなり重要なポイントだし、髪型が決まらないと、他が良くてもどうにもならない!

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写真の女性はナンシー・レーガンだ。ナンシーには複数のヘアスタイリストがいた。ヘアスタイリストらはすべてアメリカの大都市、つまりロサンゼルスに1人、ニューヨークに1人、そしてワシントンに1人いたが、それには間違いなく理由がある。ナンシーは大金を費やして、このヘアスタイリストらにセットしてもらえるようにしていたが、ナンシーのスタイルは人気が衰えることはなかった。

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変化を恐れないで

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変化とは人生の一部だ。これは我々が避けて通ることはできないもので、避けようとすれば避けようとするほど、物事は困難になる。中にはこれまでのやり方に固執する人もいるが、常に変化はつきものではあるし、物事の変化を受け入れて切り替えるのもそれほど難しいことではない。だが、マミー・アイゼンハワーは前者だった。ファッションリーダーだったかもしれないが、髪型に関しては変化を望まなかったのだ。

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マミーは50年間、常に前髪を同じようにセットしていた。前述の通り、髪型は服装スタイルを決定づけるものだ。そのため、何十年間も同じ髪型をするというのは、結果的に魅力を半減することになるかもしれない。マミーから学ぶことがあるとすれば、髪型を少しは変えた方がいいということだ。

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エレノア・ルーズベルトのウェディングドレス

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エレノア・ルーズベルトは、セオドア・ルーズベルト大統領の姪であり、父親の5いとこにあたるフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領と1905年に結婚した。初めて出会ったのはエレノアが14歳、フランクリンが18歳の時だった。その後連絡が途絶えたが、4年後、マディソン・スクエア・ガーデンで行われた馬術ショーで再会した。

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このイベントに、2人は家族と共に出席していた。フランクリンは自身が22歳、エレノアが19歳の時にプロポーズする。当時、こうした親族同士の結婚は珍しいことではなかった。エレノアはウェディングドレスにハイネックでパフスリーブのデザインを選び、上品な帽子を合わせている。

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バーバラ・ブッシュ、義母から譲り受けたベールを着用

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1941年、まだ10代の若者だったジョージ・H・W・ブッシュは、未来の妻バーバラ・ピアースと出会う。元大統領は、この出会いについてドキュメンタリー「41」で語っている。「クリスマス時期にホリデーダンスというのがあって、そこに彼女が赤と緑のドレスを着ていたんだ。それで、『あそこにいる、あの美しい女の子は誰だ?』って聞いたんだ。『あれはニューヨークのライ出身のバーバラ・ピアースだよ。』って教えてもらって、ウーゼンクラフトって名前のヤツに紹介してもらったんだ。その後は皆さんご存知の通り。」

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2人は1945年、ニューヨーク州ライの第一長老派教会で挙式した。バーバラはジョージの母親が自身の結婚式で着用したベールを身につけた。

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ジャッキー・Oスタイルに必須の大きめサングラス

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ジャクリーン・ケネディ・オナシスはサングラスを愛用していた。家の玄関口に大きなボウルを用意して、そこにサングラスを何個も置き、その日の気分でサングラスを選んでいた。この大きめサングラスをよくかけていたことから、このスタイルは「ジャッキー・O」スタイルとして人気となった。

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ジャッキーには大きめでべっ甲色の四角い太縁が特徴的なニナリッチ3203や、黒い丸縁の大きめサングラスであるスパ2など、お気に入りのスタイルがいくつもあった。

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ロザリン・カーター、結婚70年を共に祝う幸運をもたらしたウェディングドレス

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アメリカ第39代大統領ジミー・カーターと結婚したとき、ロザリン・カーターはまだ10代だった。1946年、ロザリンは18歳、ジミーは21歳の時に、2人が育ったジョージア州プレーンズで挙式した。初め、ロザリンはジミーのプロポーズを断ったらしい。だが、ジミーが海軍兵学校を卒業した後、ロザリンは考え直したようだ。

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花婿は海軍の制服を着用し、ロザリンは膝丈のドレスを選び、手袋と帽子、コサージュを合わせている。2人は2016年に結婚70周年を祝っている。

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マミー・アイゼンハワーも10代のうちに結婚

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1916年7月1日、マミー・ジェニーヴァ・ダウドは19歳で未来の大統領ドワイト・アイゼンハワーと結婚した。ちょうどミス・ウォルコットの学校を卒業したばかりだった。当時ドワイトは25歳の陸軍中尉だった。挙式はコロラド州デンバーにあるマミーの両親の家で行われ、後に、この近くのリゾート地にハネムーンで訪れている。

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2人は結婚直後からドワイトの任務に伴い、フィリピンからパナマまで世界中を転々とし、移動の多い生活だった。アイク(ドワイトの通称)が大統領になってからは、マミーは外国の政府高官らを招くことが多かったが、各国の指導者らはマミーのファッションセンスやおもてなしスタイルを楽しんだという。

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ベス・トルーマンは帽子がお好き

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1919年6月28日、エリザベス・バージニア・"ベス"・ウォーレスは、未来の大統領ハリー・トルーマンとミズーリ州インディペンデンスで結婚した。子どもの頃はおてんば娘として知られていたという。だが成長するにつれ、ファッション、特に帽子を楽しむようになったようだ。友人はそんな彼女について、「ベスは私たちよりもたくさんオシャレな帽子をいつも持ってたわ。それか、よくある帽子でもオシャレに着こなしていたのね。」と述べている。

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ハリーは1911年、第一次世界大戦の任務に赴く前にプロポーズした。当時ベスは断ったという。ハリーはもっと良い生活ができるようになってから再びプロポーズすることを決意する。ベスは結婚式に大きなつばのある帽子を選んでいる。

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ルー・ヘンリー・フーヴァー、濃い色のウェディングドレス

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ルー・ヘンリーはチャーミングな女性だった。父親とキャンプを楽しみ、動物の剝製を作るのもお手の物だった。鉱石などの石を好み、スタンフォード大学で地質学を専攻して学士号を取得したが、そこで未来の大統領ハーバート・フーヴァーと出会っている。ルーは中国語も流暢で、アジア言語を話せる唯一のファーストレディーとなっている。

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2人は1899年、カリフォルニア州モントレーにあるルーの両親の家で結婚した。夫に合わせてルーはクエーカー信者になることを決意したが、挙式の立会いはカトリック教会司祭にお願いしている。ルーは従来のような純白のウェディングドレスではなく、濃い色のドレスを選んだ。

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ルーシー・ヘイズのウェディングドレス

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1852年12月30日、オハイオ州シンシナティにある家族の家でラザフォード・バーチャード・ヘイズと結婚したとき、ルーシー・ウェア・ウェッブはまだ21歳だった。ラザフォードと身を固める前、ルーシーには数人の求婚者がいた。ルーシーの高いモラルや篤い信仰心に感心していたラザフォードの母親は、息子にルーシーと結婚するように勧めていた。

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1851年、ラザフォードは日記にこう記している。「どうやらルーシーにすっかり心奪われたようだ。あの低い優しい声、柔らかなまなざし…」ラザフォードはルーシーについて、「誠実な女性」だとも記している。結婚式には濃い色のドレスを選んだルーシーだが、2人は8人の子どもに恵まれている。

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毛皮コートをまとったエレノア・ルーズベルト

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今日では、毛皮を着る人を見て(動物愛護の観点から)眉をひそめる人も多いが、エレノア・ルーズベルトはファーストレディーを務める間、様々な機会で毛皮製品を身につけている。上の写真でも美しい毛皮コートを羽織った様子が見てとれる。華やかなドレスの上に、足首までの毛皮のロングコートを合わせている。

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元ファーストレディーのメラニア・トランプも毛皮が好きだったが、もはや着用しなくなったようだ。ドナルド・トランプ大統領の就任式後、メラニアのもとにヴィーガンベルトのついたエコファーコートが贈られている。メラニアは早速、動物愛護運動家や「プレイボーイ誌」のプレイメイトで動物保護活動を積極的に行っているパメラ・アンダーソンに対してお礼を述べている。

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マミー・アイゼンハワーの素晴らしいファッション

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ドワイト・アイゼンハワー大統領の妻、マミー・アイゼンハワーは人付き合いが大好きだったが、ファッションも大好きだった。選ぶ服装だけでなく、家の装飾などにもこだわっていた。ニューヨーク州立服飾学校は、マミーがファーストレディーを務める間、毎年「最もオシャレな女性12人」にマミーを選んでいた。

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マミーに影響を受けて、丈の長いスカートにチャーム・ブレスレット、真珠、帽子、短いボブヘアが「マミー・スタイル」として流行した。マミーは高価なものばかりでなく、手頃な価格のものもうまく取り入れていた。大統領就任式に着用したネッティ・ローゼンスタインが手掛けたピンクのドレスは、スミソニアン・アメリカ歴史博物館の中でも最も人気のある展示品の1つだ。

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フランシス・クリーブランド、かなり年齢差のある結婚

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フランシス・フォルソムがグローバー・クリーブランドと結婚まで行きついた経緯は、現代的な考え方からは少し理解しがたいものだと言える。グローバーが初めてフランシスに会ったのは27歳の時で、当時フランシスはまだ乳児だったのだ。グローバーはフランシスがまだ小さな頃から溺愛し、たくさん贈り物をしていたという。そして1875年、フランシスの父親が遺言を残さず死去したとき、フランシスはわずか11歳だったため、グローバーが遺産管理人となったのだ。

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フランシスが大学生となったときに、恋愛関係に発展したと言われている。グローバーが49歳、フランシスが21歳となった1886年に2人は結婚した。フランシスはオレンジの花と月桂樹の葉があしらわれた純白のウェディングドレスを着用した。

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グレース・クーリッジのお気に入り:犬

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グレース・クーリッジはサーカスでコリー犬がパフォーマンスするのを見て以来、コリー犬に夢中になった。1922年、ロブ・ロイという名のコリー犬を引き取ると、ホワイトハウスに連れて行き、ペットとしてかわいがった(ロブ・ロイは1928年に死去)。グレースは多くの写真でロブ・ロイや、プルーデンス・プリムという他のコリー犬と一緒に写っている。

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夫のカルビン・クーリッジも犬好きだった。「犬嫌いで犬に近寄りたくないという人はホワイトハウスに来る必要はない」とまで言っている。さらに、クーリッジ夫妻はライオンやワラビー、コビトカバやアライグマを飼っていた。