歴史上に起こった奇妙な「偶然」、その事実を知って思わず背筋がゾッとする
自分の飼い犬にたまたま友達の犬と同じ名前を付けてしまうことってありますよね?はたまた、何百万人もの死を引き起こした政治家3人が同時期に同じ町に居住していた、なんてことも。歴史上の偶然には、面白さだけでなく奇妙なところがあります。
離れ離れだったのにたまたま同じ町に暮らすことになった双子、未来の出来事を描き出していたエドガー・アラン・ポーの小説、同じ年の独立記念日に亡くなった2人のアメリカ合衆国建国の父…どれも驚きかつショッキングな歴史上の偶然です。これらの事実は、本当にたまたま起こったのでしょうか?何か重要な意味が隠されていると思いませんか?
政治家たちにとっては疫病神だったエイブラハム・リンカーンの息子

著名な政治家であった、エイブラハム・リンカーン元大統領の長男であるロバート・トッド・リンカーン。1881年、ジェームズ・A・ガーフィールド大統領と共にワシントンの6番街を歩いていたところ、目の前でチャールズ・J・ギトーによって大統領が銃撃されるという悲劇に見舞われました。
1901年、ウィリアム・マッキンリー大統領のニューヨークでのスピーチに同行した際は、レオン・フランク・チョルゴッシュがマッキンリー大統領を銃撃。しかも、大統領暗殺事件との彼の関わりはこれだけではありません。父親の命を奪った暗殺者との兄と対峙した経験もあります。
離れ離れになったのに同じような生活を送っていた双子

1940年、養子に出された一卵性双生児。別々の家庭に養子として迎えられ、2人ともジェームズと名付けられました。あだ名は2人とも「ジム」。双子は奇妙なほど似通った人生を送ります。
どちらのジムもリンダという名前の女性と結婚。2人とも息子を授かり、息子はJames AlanとJames Allanとスペルが若干異なるものの同じ発音の「ジェームズ・アラン」と名付けられました。どちらのジェームズものちに離婚し、ベティという名前の女性と再婚。喫煙者、愛車はシボレー、仕事は警備員というところまでそっくりです。39歳の時に再会し、あまりの共通点に2人が驚いたのも頷けます。
ティアニー家がお気に召さないフーバーダム

フーバーダムにて、14年の時を経て同じ日に亡くなった2人の男性。1人目は、1921年12月20日、ダムの点検中に鉄砲水に襲われます。流されてしまったのはジョン・グレゴリー・ティアニー。フーバーダムの1人目の犠牲者でした。
数年後、彼の息子であるパトリック・ウィリアム・ティアニーは、大恐慌中にフーバーダムの電気技師アシスタントとして勤務していました。1935年12月20日、パトリックは取水塔から98メートル下のアリゾナ側のダムに落下。パトリックが仕事を引き受ける前、母からは考え直すよう強く忠告されていたそうです。
お互いがお互いのフリ

敵対する2つの軍がどちらもトロイの木馬作戦で同じ町に侵入していたらどうでしょう?これこそ、イギリスのRMSカーマニアに扮したドイツのオーシャン・ライナー、キャップ・トラファルガーに起こった出来事です。不運にもドイツの偽物から出火し、本物のRMSカーマニアにその姿を目撃されてしまいます。
しかしドイツの偽物RMSカーマニアは相手が本物のRMSカーマニアとは気づきません。それもそのはず、イギリスのカーマニアはなんとドイツのキャップ・トラファルガーに扮していたのです。トラファルガーに扮したカーマニアとカーマニアに扮したトラファルガーという異様な戦い。どちらのも変装していたために、全員が混乱する事態となりました。
同じ年の独立記念日に亡くなった建国の父

1775年のフィラデルフィアでの大陸会議、親友となったジョン・アダムズとトーマス・ジェファーソン。アダムズが大統領になり2人の関係には暗雲が立ち込めましたが、1812年には和解しています。
時はアメリカ独立50周年記年の1826年7月4日。ジェファーソンはモンティチェロのバージニア・エステートで永眠しました。同日、アダムズはジェファソンが亡くなったという事実を知らぬまま、マサチューセッツのクインシーで生涯に幕を閉じます。彼の最後の言葉は、「トーマス・ジェファーソンがまだいる」だったそうです。
沈没船への乗船率が高すぎな沈まぬ女

ヴァイオレット・ジェソップは、20世紀前半を生きたアイルランド系アルゼンチン人の船の乗務員であり看護師です。もし乗客が疫病神の彼女が乗船していることを知っていたら、おそらく乗船を拒否したことでしょう。
1911年、ジェソップが勤務していたRMSオリンピックがHMSホークに追突。1年後、ジェソップはタイタニック号に乗船し、皆さんご存じの通り同船は沈没しました。第1次世界大戦中にはブリタニック号に看護師として乗船し、船が謎の爆発により沈没します。ジェソップはこれら3つの沈没事故すべてから生き残った強者です。
殺人鬼の街

1913年、アドルフ・ヒトラー、レフ・トロツキー、ヨシフ・スターリンの3人が同時期にウィーンに暮らしていました。その年の1月、ソ連のリーダーであるヨシフ・スターリンはウィーンに1か月滞在し、マルクス革命主義のレフ・トロツキーと会いスターリニズムを書きあげます。トロツキーは1907年よりウィーンで生活しており、『プラウダ』新聞で執筆活動をしていました。
ナチスに合流する前のヒトラーは、1908年から1913年まで売れない画家としてウィーンで生活しています。皆さんご存じの通り、ヒトラー、トロツキー、スターリンの3名は、世界で最も悪名高いリーダーに挙げられている人物です。
原爆を2度生き延びた人物

およそ260,000名ほどが2度の原爆で生き残ったとされていますが、どちらの原爆も生き延びた人物はたった1人です。製図工である山口彊は、出張の最終日に広島で被爆します。通りを飛び回る機体を目撃し、すんでのところで水路に逃げ込みました。
家族が見違えるほどのひどいやけどを負い、何とか長崎の自宅に戻ります。8月9日、上司に原爆の恐ろしさを説明していたところ、再び見覚えのある光とキノコ雲に襲われました。
エドガー・アラン・ポーの小説が現実に

1838年、エドガー・アラン・ポーが『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』を発表します。物語の中で、食べ物や飲み水が尽きた漂流者たちは最終的にリクガメを食べます。さらに日がたつと、くじを引いて誰が「犠牲」になるかを決めるようになります。貧乏くじを引いてしまったのは、リチャード・パーカーでした。
49年後、英国の船であるミニョネット号事件が沈没し、クルーたちが漂流。クルーたちは小説のごとくリクガメを食しましたが、それでも食料は足りません。最終的に、船から落ちてしまった17歳のリチャード・パーカーを食べて、残りのクルーは生き延びたそうです。
ティムールが忠告したのに…

1941年、14世紀のテュルク・モンゴルの統治者であるティムールの墓を掘り起こしたソ連の人類学者、ミハイル・ゲラシモフ。ティムールの墓には次のような文字が刻まれていたとされています。「私が死の国から目覚める時、世界が震えるだろう」。さらにひつぎには次のことが書かれていました。「我が墓を冒すものは、私以上の恐ろしい侵略者を解き放つことになるであろう」。
3日後、バルバロッサ作戦の一部としてナチスがソ連に侵略。歴史上最大級の侵略劇となりました。1942年には、複数の人類学者たちが適切なイスラム式の儀式を行ってティムールを再び墓に戻しています。すると数日後、ソ連はスターリングラード攻防戦で大勝利を収めました。
ウィルマー・マクリーンの庭で始まり幕を閉じた南北戦争

1861年、バージニア州のマサチューセッツ・ジャンクションにある奥さんのプランテーションで暮らしていたウィルマー・マクリーン。7月21日、P・G・T・ボーリガードの決定でこの場所は1度目の南北戦争の戦いの基地となりました(2度目の戦いは8月)。
この自宅に飽き飽きしていたマクリーンと家族は、1865年にアポマトックス・コートハウスの屋敷に移住。1865年4月9日、チャールズ・マーシャル大佐から集会のために庭を利用したいと依頼があります。その日の午後、チャールズ・マーシャル大佐がユリシーズ・グラントに敗北を認めました。
第1次世界大戦の引き金

第1次世界大戦の引き金であるフランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの暗殺はすべてが不運の連続でした。1度目の暗殺計画はフェルディナントの車に向かって手りゅう弾を投げるというものでしたが、手りゅう弾が10分経ってからでないと爆発しないため失敗に終わります。フェルディナントは生き延び、暗殺者たちは落胆して解散しました。
フェルディナントは周りの助言に反して負傷者の確認のため爆発現場に戻ることを決意。不運にも運転手が道に迷ってとあるカフェを通ります。そのカフェで偶然サンドイッチをほおばっていたのが、暗殺者の1人であるガヴリロ・プリンツィプ。あとは皆さんご存じのとおりです。
落下する赤ちゃんに2度激突された男性

1937年10月17日、『タイムズ』誌がミシガン州のデトロイト在住の清掃員、ジョセフ・フィグロックにまつわる奇妙な話を掲載しました。通りの掃除中、近くの建物の4階の窓から落ちてきた赤ちゃんがフィグロックの頭に直撃。驚くべきことに、フィグロックも赤ちゃんも無傷だったそうです。
1年後、同じ通りを清掃していたフィグロックの頭上に落ちてきたのは、窓から落下してくる2歳のデイビッド・トーマス。なんと、またもやフィグロックも子供も無傷で済んだそうです。通りの名前や子供がいる家で窓を開けっぱなしにしていた家族の名前は明かされていません。
20年後に果たされた報復

とある男性を撃つために用意された弾丸が、元々の計画の20年後についにその役割を果たしたという伝説があります。場所はテキサス州のハニー・グローヴ。1893年、ヘンリー・ジグランドという男性はとある女性と破局します。それから間もなくして亡くなった女性の兄は、敵としてジグランドを撃つことを決意しました。
女性の兄の弾丸はジグランドの顔をかすり、結局近くの木に撃ち込まれます。数十年後の1913年、ダイナマイトを使ってこの木を取り除こうとしていたジグランド。爆風で木に埋まっていた弾が飛ばされ、20年前に果たせなかった報復が果たされました。
ローマの始まり…それとも没落?

ローマの神話によれば、ローマはロームルスとレムスの双子によって建国されました。誰が国を治めるかもめた末、ロームルスはレムスを殺してしまいます。この話はただの伝説にすぎませんが、歴史家によればこれはおそらくローマの初代皇帝アウグストゥスであろうということで意見が一致しています。
476年9月、ゲルマン人のオドアケルに殺害されたロームルス・アウグストゥス。その年にローマ帝国は崩壊しています。
未来を予測したテレビゲーム

2000年に発売された『Deus Ex』は、プレイヤーがリバティーシティで複数のミッションをこなしていくゲームです。デジタル化されたニューヨークの街並みを目にすることができます。さて映像をよく見てみると、ワールドトレードセンターが描かれていないことに気づくでしょう。
当時ゲームの製作側は「テロリストがタワーを破壊した」と言ってこの間違いをもみ消しました。それから1年後、ワールドトレードセンターを破壊した9.11によって永遠に変わってしまったアメリカ。ゲームの発売から1年後に不気味な偶然として現実になってしまったのです。
言いふらさない方がいい理由

2006年、スコットランド人の漁師であるマーク・アンダーソンは、海に出ている間に92年前のメッセージが入った瓶を発見します。これは史上最も古い漂流瓶としてギネス記録に登録されました。アンダーソンはこの発見を自慢して、友人のアンドルー・リーパーによれば「いつもこの話をしていた」そうです。
2012年後半、アンダーソンが使用したのと同じ船に乗って釣りを楽しんでいたアンドルー・リーパーは、瓶に入ったメッセージを発見します。彼が発見した瓶は何と98年前のもので、アンダーソンの記録を塗り替えました。リーパーによれば、アンダーソンは「記録を塗り替えられたことにかなり落胆していた」そうです。
全く同じ死に方

2002年、ラーヘの高速道路でサイクリングを楽しんでいた70代のフィンランド人男性。男性が道路を渡ろうとしたところ、大型トラックが突っ込んできて帰らぬ人となりました。2時間後、別のサイクリストが同じ道路を渡ろうとして、同じように大型トラックにひかれて死亡します。
現場に急行した警察は驚くしかありません。「2人が兄弟だったと聞いて髪の毛が逆立ったわ」と話すのは警察官のマリア・リーナ・ハータラ。「しかも2人は一卵性双生児だったの」。同じ方法で1.5キロしか離れていない場所で死亡した奇妙な双子の最期でした。
ハレー彗星と共に現れ消えたマーク・トウェイン

76年ごとに地球を通り過ぎる際に目にすることができるハレー彗星。多くの人にとっては一生に一度見れるかどうかの経験ですが、2度経験したのがマーク・トウェインです。1度目は彼が誕生した年である1835年。1909年、「再び彗星が通り過ぎる年に自分は亡くなるであろう」とトウェインは予言します。
「全能の神はおっしゃったのだ。『奇妙な2つのフリークが存在する。ともに現れた2つは、ともに去るべきだ』」、と『ニューヨークタイムズ』に話しています。1910年、ハレー彗星が近づいた1日後にトウェインは永眠しました。
ヒトラーはナポレオンの生まれ変わり?

ナポレオンが生まれてから120年後の1889年に誕生したヒトラー。ナポレオンが権力を得た120年後に同じく権力を得て(1799年 vs 1919年)、ナポレオンがロシアに攻め込んだ130年後に同じようにロシアに攻め込み(1812年 vs 1941年)、ナポレオンが失脚した130年後に同じく権力を失いました(1814年 vs 1944年)。
さらに歴史家によれば、2人の統治者には他にも似通った点が存在します。どちらも出自が貧しく、クーデターにより権力を得て、ヨーロッパ支配を夢見てロシア侵略に失敗。最後は他国の連合に敗れました。
ガリレオの命日に誕生、アインシュタインの誕生日に逝去したスティーヴン・ホーキング

人類の世界の見方を大きく変えた有名科学者である3名の人物は、人生における重要な日にちにも共通点が見られます。スティーヴン・ホーキングが誕生したのは、ガリレオ逝去300年記念である1942年1月8日。
ホーキングにはアルベルト・アインシュタインとの共通点もあります。彼が亡くなったのは、アインシュタインの生誕139年記念である2018年3月14日。さらに驚くべきことは、筋萎縮性側索硬化症を患っていたにも関わらずホーキンズが76歳まで存命したことでしょう。
隕石が落ちてきたコメット家

『ナショナルジオグラフィック』によれば、隕石にあたって死亡する確率は1,600,000分の1と考えられています。「コメット(英語で彗星の意)」という名前の家族の暮らす家に45億年年以上宇宙を旅した隕石が直撃するなどという事態は想像しがたいですよね?
しかし、これは2011年にフランスにて実際に起こった出来事です。幸い隕石は卵ほどの大きさだったためけが人は出ませんでした。それでもなかなか衝撃の事態です。
ずっと探していたサイン入りの本を発見したアンソニー・ホプキンス

1970年代初期、『ザ・ガール・フロム・ペトロフカ』の映画版でコスチャを演じる予定だったホプキンス。役作りのために小説を読もうとしましたが、一生懸命探しても原作を入手することができませんでした。
ところが、ある時ロンドンの地下鉄の駅に腰を下ろしていると、誰かが置きっぱなしにした本がまさに探していた本であることに気づきます。しかも本を開いてい見ると、小説の作者であるジョージ・ファイファーのサイン本だったそうです。
エイブラハム・リンカーンの息子の命を救ったジョン・ウィルクス・ブースの兄

ジョン・ウィルクス・ブースはエイブラハム・リンカーンの暗殺者として有名ですが、ブース家にはそれ以前にもリンカーンとのつながりがあります。ブースの兄であるエドウィンはそこそこ有名な舞台俳優で、南北戦争中はユニオン軍を支持していました。
ニュージャージー州の列車の駅にて、リンカーンの息子であるロバート・トッド・リンカーンは停車している汽車に寄りかかっていたため汽車が発車した際に線路に倒れ込みそうになります。エドウィン・ブースが襟首をつかんで転倒を防ぎ、ロバートの命を救いました。ブースは自分が救った相手が誰だったのか、数年経ってから知ったそうです。
墓場で隣同士に埋葬されている第1次世界大戦の最初の犠牲者と最後の犠牲者

後期には人類史最悪の戦争となった第1次世界大戦。およそ100万人の英国人兵士が命を落としました。
元々計画されていたわけではありませんが、記録上最初の戦争の犠牲者である17歳のジョン・パーと最後の犠牲者であるジョージ・エドウィン・エリソンは、聖シンフォリアン軍墓地にて5メートルしか離れていない場所に埋葬されています。これが意図して行われたのかどうかは不明です。
墜落した飛行機2機に乗り損ねた男性

2014年、残念ながら墜落してしまったマレーシア航空の2機の飛行機。1機目はウクライナによって撃ち落され、2機目は跡形もなくインド洋で消失し航空界最大の謎と考えられています。
この2度の事故は偶然かもしれませんが、本当の偶然に会ったのはオランダ人のサイクリストであるマーテン・ドゥ・ヨング。彼はどちらの航空機にも搭乗予定でしたが、結局乗らずに九死に一生を得ました。
1ドル札の愛

NPRの『ディス・アメリカン・ライフ』のとあるエピソードでは、デートし始めて間もない頃にポールからエスターに正式な交際を申し込みます。同じ日にサンドイッチの支払いをしようとすると、ポールは支払いのために差し出したお札の1枚に「エスター」と書かれていることに気づきます。結局このお札は使わずに、フレーム入れてエスターへのプレゼントにしました。
プレゼントを受け取って言葉を失うエスター。数年後に2人が結婚すると、失恋後に1ドル札数枚に自分の名前を書きこんで「お札を自分のところに持ってきた男性と結婚する」と決めていたことをエスターが明かしています。
失われた言語で「ドッグ」と意味する「ドッグ」

ムババラム語は失われつつあるオーストラリアのアボリジニーの言語です。英語とは似ても似つかない響きですが、英語とのつながりが一切見られないにもかかわらず、英語で犬を意味する「dog」という単語が英語と同じく「犬」を意味することが分かりました。
発音だけでなく意味も同じため、欺瞞的同根語であると考えられています。かなり珍しいことで、歴史家たちはかなり困惑しているようです。
瓶に入ったメッセージ

『CNNニュース』によれば、ビーチを散歩していたフレッド&リネット夫妻は海岸に打ち寄せられた瓶を発見します。
よく見てみると、メロディ・クロスカとマット・ベアーズという名前のカップルの結婚の誓いが含まれているメッセージであることがわかりました。ごく最近ミシガン湖の向こう岸で結婚式が執り行われたようです。メッセージには夫婦の住所と結婚記念日が記載されていたため、フレッド&リネット夫妻は新米夫婦にお祝いのメッセージを送りました。
やっと再会した双子

2015年、『ニューヨークタイムズ』は一卵性双生児が生き別れとなり、コロンビアのボゴタで再会したストーリーを報道しました。
双子の1人であるホルヘは、生き別れになった兄弟の片割れであるカルロスに彼が働く肉屋で再会したのです。ホルヘに説得された母親は、最終的に2人が一緒に写る写真をホルヘに見せてくれました。それ以来、生き別れになっていた双子は連絡を取り合っているそうです。
ただの偶然だった2つの『わんぱくデニス』

元々はコミック・ストリップのキャラクターである「わんぱくデニス」をご存じの方も多いのではないでしょうか?1951年のポップカルチャーにおいて人気を博したわんぱくな少年です。実は、同じ年にイギリスでも「わんぱくデニス」として知られるキャラクターが誕生したのはご存じですか?
2つのキャラクターは基本的には同じですが、キャラクターのどちらかが盗作であるを示す証拠はありません。同時期に草案、誕生、リリースしたことはすべてただの偶然です。
タイタニックの沈没を予想した人

1898年、小説家であるロバート・モーガンは、タイタニックの沈没の実に14年前に『The Wreck of the Titan or Futility』を出版しました。この小説の中の船は、実際に沈んだタイタニック号のとの類似点が多数見られます。
どちらの船も「絶対に沈まない」と称されているだけでなく、船のスターボードサイドが氷山に激突し沈没したという点も同じです。さらに、事故発生地がニューファンドランド島から644キロ地点ということ、発生したのが4月の真夜中であるということ、ライフボートの数が不足していたということまで一致しています。
大学で出会った三つ子

2018年にリリースされたドキュメンタリー『スリー・アイデンティカル・ストレンジャーズ』は大学時代に再会した三つ子を追っています。1980年の誕生時に生き別れとなりましたが、そのうち2人は偶然同じ大学に通っているときに再会し、3人目は2人を取り上げた記事が発表されたことをきっかけに自ら2人に連絡を取って再会しました。
結論から言うと、この三つ子は1960年代のニューヨークの心理学者たちによる「生まれか育ちか」実験の一環としてバラバラにさせられたことがわかりました。最終的には全員で再会を果たし、密に連絡を取り合っているようです。
自分の子供時代の本を発見したアン・パリッシュ

1929年、セーヌ川沿いにある本屋で本を見ていた作家のアン・パリッシュ。すると、幼い頃のお気に入りであった『ジャックフロストとその他の物語』が目に入ります。破格の値段でこの本を購入した後、夫とカフェで合流しました。
戦利品を見せると、夫はおどろきを隠せません。中に書かれていたのはパリッシュの住所。見つけた本は、パリッシュが幼少時代に読んでいた本そのものだったのです。
ジェームズ・ディーンの死を予測したアレック・ギネス

ジェームズ・ディーンを死に導いた交通事故に関しては、単なる偶然か部品の不具合なのか判断しがたいところです。
『ジャロックニック』によれば、ディーンの車を見たアレック・ギネスが次のように話していたそうです。「あんな車に乗ってたら、来週の今頃には事故で死んでるんじゃないか」。その7日後、ディーンが交通事故で死亡。事故後に車の部品の一部は売却されましたが、これらの部品を愛車に使ったオーナー数名が事故によって亡くなっています。
ロベルト・クレメンテの最期のヒットが記録に

ピッツバーグ・パイレーツの右翼手であるロベルト・クレメンテは、初のラテン系アメリカ人選手で、メジャーリーグ内で11番目に3000ヒットを達成(1972年)した人物です。
驚くべきことに、彼の最後のスイングが3,000ヒット目を記録。このヒットのから間もなくして、クレメンテはニカラグア地震の被災者の救援活動中にプエルトリコ沿岸の飛行機事故で帰らぬ人となりました。