25年間、毎年撮り続けた家族の写真、最後の結末に涙が溢れる

「年月が過ぎるのは早い」親なら誰もが口にするセリフだが、毎年同じポーズで写真を撮り続けると、それがよく実感できる。ロンドンを拠点に活躍するカメラマンのゼド・ネルソンは毎年25年間もの間、照明や背景を同じようにして友人夫婦とその息子の写真を撮り続けた。この家族が時と共にどのように変化したのかをご覧いただこう。

1991年: 親になったばかりの夫婦と赤ちゃん

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Zed Nelson
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カメラマンのネルソンは、男の子の赤ちゃんが生まれたことで親になったばかりの友人夫婦をすぐさまスタジオへと案内した。写っている赤ちゃんは生後数週間もたっていない。

友人夫婦はまるで家でくつろいでいるかのような格好をしている。2人ともだぼっとした真っ白なTシャツを着て、ゆるめのパンツにお揃いのスニーカーといういで立ちだ。ゆったり目の服装は確かに90年代に流行っていたものの、何となく、親になったばかりで疲れている様子が垣間見える1枚だ。

1992年: 前より少しきっちりと。男の子は立っている!

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Zed Nelson
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赤ちゃんはわずか1年の間に驚くほど成長する。それは前の写真とこの写真を比べてみても明らかだ。赤ちゃんだった小さな男の子の頭には、お母さんと同じ髪色の毛がふさふさに生えている!

しかも男の子は両親と手をつなぎ、支えてもらっているとはいえ、自分の足で立っているし、両腕を伸ばせば親と手がつなげるほどにまで背が高くなっている。赤ちゃんだけでなく、親にも変化があったようだ。部屋着のようなゆるっとした服からボタンのついたシャツになっているし、ジーンズに、フォーマルな靴を合わせている。

1993年: 遊びたい盛り

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1993年、家族はお日様の下で遊びに出かけるかのような格好になっている。両親はお揃いのボタンシャツにバミューダパンツ、そしてはだしだ。カジュアルな格好は、まるで家族で休暇に来ているかのような印象を受ける。

それに、小さな男の子は嬉しさのあまりジャンプしている!もう赤ちゃんではなくなった男の子は、運動能力を身につけ、両親の手にぶら下がっているのだ。男の子も前の写真と比べると、少しきちんとした格好になっている。白のポロシャツに両親よりも明るい色合いではあるが同じように半ズボンを履いている。

1994年: おちゃめに

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小さな男の子はかつて、両手を目いっぱい伸ばして両親と手をつないでいたが、この写真を見ると、男の子は今やひじを曲げたままでも手をつなげるようになっている。あっという間に大きくなるとは、正にこのことだ。

家族は少しおどけてポーズをとることにしたようだ。男の子は上半身はだかだし、お母さんは目立つ水玉模様のズボンを履いて、お父さんは穴あきジーンズを履いている。90年代ファッションの定番とも言える。

1995年: 甘えん坊をちょっぴり卒業?

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Zed Nelson
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もはや乳幼児と呼ばれる時期は過ぎたようだ。オムツもおそらく卒業しているだろう。まだ小学生とまではいかないが、少しばかり自立し、甘えん坊ではなくなってきているのが見てとれる。

前の写真では両親と手をつないでいたが、この写真では手をつながなくても1人で立っている。両親も子どもを支えるわけでもなく、真顔で隣に立っている。お父さんは手を後ろで組み、お母さんは前で手を組んでいる。

1996年: おしゃれして、笑顔で

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Zed Nelson
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この写真撮影のとき、家族はリラックスして楽しんでいたようだ。小学校に行く前くらいの男の子は踊っていたようで、両親はその後ろで笑っている。

お父さんは片手を男の子の肩に置き、もう一方の手をお母さんの背中に回している。お父さんと息子はチェックのシャツで揃えているし、お母さんは花柄のワンピースを着ている。さらに、お母さんが髪を黒っぽく染めていることにも注目。これも90年代に流行った髪色だ。

1997年: ふくれっ面の男の子

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Zed Nelson
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小さな男の子はこの写真を撮ったときにはもう6歳くらいだろうが、どうも良い日を過ごしていたわけではなさそうだ。この年頃にはよく見られるものの、不満そうにふくれっ面をしている。お母さんと息子は、90年代に再び流行していたビルケンシュトックのサンダルを履いている。

お母さんは長めのデニムスカートに、ジャケットを合わせているが、これも90年代ファッションの定番だ。お父さんは後ろで手を組み、笑顔を浮かべ、もはやお決まりとなったポーズをとっている。

1998年: はだしで真顔

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1998年、家族は再びはだしに戻っている。小さかった男の子は、今や背も高くなり、カーゴパンツにトレーナーを着ている。両親は大きめのボタンシャツを色違いで着ているようだ。

お母さんは短い髪を明るくブリーチしているため、息子の髪色とはもう同じではなくなっている。息子の髪もだいぶ伸びている。一方で、お父さんはと言うと、白髪交じりの髪の生え際が少しずつ後退しているようだ。

1999年: お父さんのポーズを真似して

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Zed Nelson
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ちょうど8歳になった頃だろうか。男の子は真顔で、お父さんと同じようなポーズをとって、真剣な表情を見せ始めている。お母さんもきゅっと口を結び、真顔で写っているが、少し横に傾いているようだ。

お母さんは短い髪を黒くして、ジェイミー・リー・カーティスを意識しているのだろうか、フリースのタートルネックにバギージーンズを合わせてきめている。

2000年: 両親の肩の高さにまで成長!

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1年前の写真と比べると両親の肩の高さにまで成長した少年は、成長期を迎えていたのだろう。この写真では笑顔を見せている。

お父さんは手を息子の肩に置き、お母さんは両手で息子のもう一方の腕を抱いている。みんなで笑顔を見せているが、男の子はまるで笑い出すかのようなはじける笑顔だ。

2001年: リンプ・ビズキット(メタルバンド)のTシャツとチェーン

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今や10歳のプレティーンになった男の子は、自分のファッションスタイルを探し始めたようだ。お父さんは明るい色のボタンシャツの裾をベージュのズボンに入れ、お母さんは花柄のワンピースを着ている。

2人の服装は、男の子が着ているリンプ・ビズキットのTシャツとは対照的だ。しかも、男の子の濃い色のジーンズにはチェーンまで付いている!そして男の子はお父さんと同じように両手をポケットに入れている。

2002年: これまでで一番おめかししている

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2002年までに、男の子は服装のせいもあるかもしれないが、実際の年齢よりも大人びて見える。これまでずっと家族写真でカジュアルな服を着ていたのに、この写真では炎がデザインされたボタンシャツを着ている。

両親も、これまでの写真と比べてもおめかししている。お父さんはジーンズではなくスラックスを履いているし、ボタンシャツにネクタイまで付けている。お母さんはシンプルなロングドレスを着て、きらびやかな花のついたハイヒールを合わせている。

2003年: 濃い色のジーンズにきれい目のシャツで

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これまでの写真では、どうも家族はその日たまたま着ていた洋服で写っていたようにも思えるが、今回は3人の服をコーディネートしてみたようだ。3人とも濃い色のジーンズを履き、息子とお父さんのシャツは色違いのようにも見える。

大きな違いは、お父さんのシャツは黒で、息子のシャツが白いことだろうか。そして、お母さんは白と黒のモノトーンのブラウスを着ている。それにしても、お母さんも息子も、どこか困惑したような表情をしているのも面白い。

2004年: ティーンエージャーになった息子

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前年の家族写真では、男の子はおめかしして写っていたが、この年はカジュアルな装いに戻ったようだ。ナイキのTシャツにナイキのトラックパンツ、ナイキの運動靴を履いて、ティーンエージャーらしい格好になっている。

お父さんはストライプのボタンシャツに濃い色のジーンズで、ちょっとおめかししているが、シャツの裾を出すことで、きちっとなりすぎないようにしている。お母さんはカジュアルな白いチュニックにカプリパンツを履いて、サンダルを合わせている。

2005年: お母さんより背が高くなっている

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子どもが親の背を越えるのはいつだって記念すべきことだが、2005年、ついにこの家族にもその瞬間が訪れたのだった。かつて小さかった男の子は、今やお母さんの背を追い越している。

お父さんは背筋を伸ばしているようにも見えるが、男の子はまだあと少しお父さんの身長には追い付いていないようだ。そして、この日3人はコーディネートしている。みんな濃い色のジーンズを履いて、お父さんとお母さんは白いシャツの上に黒いジャケットを羽織り、息子は黒のポロシャツを着ている。

2006年: 髪の毛を伸ばし始める

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2006年、お父さんは息子よりも背を高く見せるために、どうも胸を張って背筋を伸ばしているようだ。かつての少年は、青年へと変わりつつある。

息子は、かつて幼かった頃のように髪を伸ばし始めているようだ。お母さんは両手をだらんと伸ばして、リラックスして立っているようだ。後ろに髪をまとめ、シンプルなセーターにジーンズ、ヒールのないバレエシューズを履いている。

2007年: とうとうお父さんの身長も抜かした!

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2007年には、息子が親2人の身長を抜かしたことは明らかだった。たった16年の間に、あの小さな乳児があんなに高かった親2人の身長を追い越すだなんて、すごいことだ。

さらに、青年となった息子は髪の毛も伸ばしており、もう少しで肩に届く長さになっている。この写真のような、前髪を横に流したヘアスタイルは2000年初めにとても人気だった。お父さんは眼鏡をかけてネクタイをしめたことで、プロっぽく見える一方、お母さんはタートルネックにブーツを選んでいる。

2008年: 長髪と口ヒゲ!

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Zed Nelson
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前の写真と比べて、男の子の身長はさほど大きくなっていないものの、確かに風貌が変わってきている。それは口の周りに生えてきているヒゲだ!あごにも少しうぶげが生えているのかもしれない!

そして、この写真でも、息子はお父さんと同じようなポーズをとっている。両手をポケットにつっこんで、少し足を開いて立っている。一方、お母さんはいつも通り、両手をだらんとたらして、まっすぐカメラに向いている。

2009年: 3人の成人

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2009年には、息子はもはや男の子というよりも、青年だ!この年、息子は法的にも成人し、見た目にも大人になっている。息子はカーディガンを羽織っているが、お母さんが着ているものとよくマッチしている。

お母さんと言えば、どうも心配そうな顔つきで写っている。子どもがすっかり大人になってしまったとき、心配しない母親などいないのだから、それも当然かもしれない。

2010年: 濃い色の服でまじめな顔つき

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2010年の家族写真では、意図したからなのか、それともこの日たまたまみんながそんな色合いの服を着る気分だったのかは分からないが、みんなの色が揃っている。お父さんは全身黒ずくめだが、お母さんと息子はグレーのトップスに黒のボトムスを合わせている。

3人とも真面目な顔をしているが、お父さんはどちらかというと不機嫌そうな顔つきだ。お父さんはこの時点までにほとんどの髪の毛がなくなっているし、残っている毛はすっかり白髪になっている。

2011年: お父さんと同じ眼鏡で

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この年、青年は20歳を迎えているが、お父さんと同じような眼鏡をかけ、お父さんそっくりになっている。お母さんは、この時までに息子がすっかり成人したという事実を受け入れ、満足しているようだ。

この写真では3人の服装は揃っていないが、それぞれが暗い色と明るい色を取り混ぜ、さらにストライプやチェック、プレーンなど、さまざまな柄を取り入れていることで、逆に一体感が生まれている。

2012年: 3人がそれぞれの格好で

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2012年までに、すでに3人は家族写真のために服装を合わせることを諦めたかのようだ。だが、3人はそれぞれが自分の生活の中でよく似合っているものを身につけている。

息子は黒いポロシャツに、濃い色のスラックスを履いている。お父さんはグレーのボタンシャツの裾をベージュのスラックスに入れている。お母さんは長そでの柄ワンピースに黒いタイツを合わせている。お母さんはまるでかつてしていた髪型に戻したかのようだ。色味は明るくなっているけれども。

2013年: きれいめカジュアル

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この家族写真には、3人ともどちらかというとカジュアルな服でのぞんだようだが、息子が小さかった頃のようなカジュアルさはない。お父さんはジーンズに戻っているが、ピカピカのよそ行き靴を履き、ボタンシャツをズボンに入れている。

息子はチェックのシャツに濃い色のジーンズでお父さんと合わせているが、足元はスニーカーでくずしている。お母さんはユニークな柄のワンピースに黒いタイツを合わせている。

2014年: 大学卒業頃

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もし子どもが高校卒業後すぐに大学に入っていたら、この年の写真撮影頃までには大学を卒業している頃だろう。いずれにしても、息子はすっかり社会人1年生のようだし、服装もそれにふさわしくなっている。

シンプルな無地のボタンシャツに濃い色のジーンズを合わせ、品の良さそうな腕時計を付けている。お父さんはいつものスタイルにベストを合わせている。お母さんは柄もののセーターにスラックスを選んだようだ。

2015年: かつての少年は大人に

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家族写真を毎年取り始めてから、およそ15年経ったあたりから、家族の様子はすっかり変わった。たとえば、お父さんはかつてはTシャツなどカジュアルな服装だったのに、眼鏡をかけ、ベストを着て、すっかりオシャレなお父さんになっている。

お母さんはカジュアルな服をやめて、白っぽいブラウスに濃い色の上品なシャツを重ね、黒いスラックスで合わせている。もちろん、この中で一番の変化を遂げたのは息子だ。小さな乳児だったのに、きちんとした靴を履き、ボタンシャツにお父さんと同じ眼鏡をかけた大人になったのだから。

1975年 物語はそこから始まった

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ミシガン州デトロイトに住むニコラス・ニクソンは、ポートレートと記録写真を手掛けていることが有名で知られているが、あるとき思いつきで、後にもっとも有名なポートレート作品のひとつとなる『ブラウン姉妹』を撮り始めた。1975年の夏、ニコラスは妻と共に妻の実家を訪問しているとき、妻とその3人の姉妹に、姉妹みんなの写真を撮っても構わないかと尋ねたのだ。

この写真は、1975年にコネチカット州ニューケーナンで撮影されたものだ。ニコラスの妻ビービーは25歳、ヘザーは23歳、ローリーは21歳、ミミはまだ15歳だった。彼女らの40年間に起こる変化をご覧いただきたい。

1976年 お揃いの服を着ているハプニング?

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姉妹はお互いに似ているところがあったのか、よく似たようなカット、プリント、スタイルの服を着ています。この写真では、ローリーとベベはまったく同じドレスを着ているように見えます。

深刻な表情とは裏腹に姉妹には、予想外の遊び心があった側面を感じることが出来ます。 これは1975年に大流行したコミカルな歌とも似たような性質があります。1976年には、「およげ!たいやきくん」が453万枚も売れ、爆発的な日本記録となりました。

1977年 暇つぶしから始まった?

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『ブラウン姉妹』を撮り始めたとき、ニコラス・ニクソンは26歳だった。妻のべバリー(あだ名はビービー)と既に結婚して3年が経っていた。この写真は、初めの写真を撮ってから2年後の1977年、マサチューセッツ州ケンブリッジで撮影された。

「この作品(ブラウン姉妹)は、ちょっとした暇つぶしから生まれたんです。週末にはビービーの両親に会いに行っていたんですが、ちょっとつまらないんですよね。色んな人に会って、毎晩ディナーには顔を出さなくてはいけなくて。ニコニコしているのに疲れてきて『写真を撮ろうよ』って誘ったんです。」と、ニクソンは言う。

1978年 交渉が必要になった

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実際のところ、ニクソンが初めて妻と姉妹の写真を撮ったのは、1974年の8月だった。ところが、ニクソンは、それがおもしろい作品にはならないと感じて、その集合写真を破棄したのだった。そのため、このブラウン姉妹シリーズの初めての写真として登場するのは、1975年のものとなっている。

姉妹を被写体にして2年目、写真を撮るのに「交渉術」が必要になったとニクソンは説明している。4人のうち2人が真ん中に立ちたいと言ったため、立つ順番を決めることになったのだ。左から順にへザー、ミミ、ビービー、ローリーだ。これは1978年、マサチューセッツ州ハリッジポートで撮影されている。

1979年 今と変わりのないファッション

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姉妹たちは、次の新たな10年に向けて、気持ちを高めていた。40年経った今でも、彼女達が着ている服は、今でも誰かが着ていそうな素敵なファッションであることがわかる。服のスタイルも昨今とそれほど大きく変わっていないことを示してる。

1979年、この年日本では、第二次オイルショックが起こった。また、子供たちの間では、口裂け女の伝説が流行。また、初めてウォークマンが販売されたのもこの年である。そして、なんとあの有名なドラえもんの連載が開始されたのも、この年なのだ。

1980年 姉妹たちはこの瞬間を楽しんでいるように見える

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ニコラス・ニクソンに広角レンズを使わせれば、彼の右に出るものはいない。ブラウン姉妹シリーズは、8×10カメラで、かつ白黒で、撮り続けられた。さらにニクソンは三脚も使用して、姉妹の写真をより魅力的に仕上げている。

この写真は1980年、ロードアイランド州イーストグレニッチで撮影したものだ。ヘザー、ミミ、ビービー、ローリーの写真を撮り始めてから、5年経っていた。姉妹の写真を撮り始めたときには、彼女らは10代から20代前半だったが、みんな大人の女性になったように見える。だが、姉妹シリーズの写真は、まだまだ終わらない。

1981年 就職を考える年

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おそらく驚きの事実かとは思うが、1981年の最低時給は、アメリカでは$ 3.10 だった。今日の相場と比較すると、$ 7.25(約800円)です。 写真の時点では、ビビを除いて、20代のブラウン姉妹全員が最低賃金の仕事をしていたようだ。

1981年を振り返ってみよう。この年は、世界的にスペースシャトルが初飛行したことで有名だ。また、日本では、なめ猫が流行したり、窓際のトットちゃんがベストセラーとなった。

1982年 とある寒い日のブラウン姉妹

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1982年について振り返ってみると、ソニーのウォークマンズが約1万5千円ほどしていたことだ。今日のソニーのMP3ウォークマンプレーヤーは、機種にもよるが、そこまでの値段はしない。時代の変化による値段の変動はおもしろい。

ブラウンの姉妹は、冬の装備をして写真を撮られていることはっきりとわかるので、ニクソンが寒い日に屋外で撮影することを選んだのだということがわかる。この日、彼らは旅行に出かけており、いつもとは違う季節で写真を撮ってみたかったようだ。

1983年 ニクソンの写真へのこだわり

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1983年、ニコラス・ニクソンはブラウン姉妹をマサチューセッツ州オールストンで撮影した。ニクソンは写真家として、広い画角でオブジェクトや静物画、ポートレート、一風変わったパロディーを撮った20世紀のアメリカの写真家エドワード=ヘンリー・ウェストンの影響を受けている。彼のスタイルは「典型的なアメリカ、特にカリフォルニア人」だと言われている。

さらにニクソンは、農業安定局(FSA)のプロジェクトで、世界恐慌の影響について記録するために写真を撮ったことで知られる、アメリカの写真ジャーナリスト、ウォーカー・エバンスの影響も受けていた。エバンスは、ニクソンがこの姉妹シリーズに用いたように、多くの作品に8×10カメラを用いていた。

1984年 ニクソンの姿が?

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この年は、どうやらビーチで写真を撮ることに決めたようだ。背後には、砂浜と海が見えるだろう。そして、おもしろいことに、この写真はニクソンがどのような姿かをほぼ確認できる唯一の写真である。なぜ彼はこの晴れた写真に自分の影を含めることを選んだのだろうか。この演出がなんともいえずに素晴らしい。

1984年には、大人気漫画ドラゴンボールが連載を開始した。また、現在でもロングセラーであるカラムーチョの発売。ジブリ風の谷のナウシカの放映もこの年である。

1985年 ネガから作り出す写真

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周囲が35ミリフィルムの携帯カメラを好むようになる中で、ニコラス・ニクソンは相変わらず大判カメラを好んで使用していた。その理由として、ニクソンは、ネガから作り出せるフォーマットの方が好きだからと述べている。

ニクソンは「写真撮影が小さいカメラですばやく済めば済むほど、そこに写るのは、写真技術が生まれた頃のように、時が止まったような画ではなく、もっともっと薄い、ほんのわずかな一瞬でしかないのです。僕は、より厚みがある方が好きなのです。僕にとって30秒と1,000分の1秒の差はとても大きいのです。」これは1985年、マサチューセッツ州オールストンで撮られた『ブラウン姉妹』だが、確実に1,000分の1秒よりもずっと多くのものを捉えている。

1986年 ドアップの写真

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ニクソンは、姉妹の80年代のファッション全体を映す代わりに、彼女たちのドアップを映すことに決めたようです。彼女達の表情も皆とても幸せそうに見えます。何か良いことが起こったのでしょうか。

1986年は、男女雇用機会均等法施行されました。この年から女性の地位が認められようになってきたようです。今後も、更なる社会地位の確立や女性の働きやすさの動向が注目されていくでしょう。

1987年 ミミとべべがセンターへ

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『ブラウン姉妹』のすべての写真が初めて、国際的な写真イベントであるパリフォトに出展された。その直後に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、セントルイス美術館、ハーバード大学フォグ美術館、シンシナティ美術館、フォートワース現代美術館、そしてナショナル・ギャラリーで展示された。

このシリーズは、インターネット上でも人気を博した。インパクトのある一連の写真は、老い、時の流れ、姉妹そして家族の絆、どんなに変わっても、写真を撮るために何度でも集まったことなど、様々なテーマを取り上げている。

1988年 ヒョウ柄ブーム

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1988年の写真は、マサチューセッツ州ウェルズリーで撮影されている。何年も撮影を続けるうちに、最終的には、ブラウン姉妹がこのシリーズについて決定権を持つようになっていた。写真を選ぶときには毎回、4人全員が納得しなければならなかった。

ただ隣同士に4人が並んでいるだけの写真もあれば、お互いに抱き合ったり、手をつないだり、みんなで腰に手を回して並んでいたり、ブラウン姉妹の仲の良さが垣間見れるものもある。写真の一番素晴らしいパワーというのは、見る人に、カメラの向こう側に広がるストーリーを想像させるところであり、前回からの12か月の間に何があったのだろうかと考えさせるところだ。

1989年 ヘザーは隠れている

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ヘザーは、一番後ろに隠れており、前面はミミによってほぼ隠されています。彼女は妊娠していたのだろうか、そして、ニクソンはそれを見せたくなかったのだろうか。それが事実である場合、おそらく彼は、視聴者が写真外で他人に自分の人生についてのあれこれ推論をされることを妨げていたのでしょう。

この年、日本は昭和から平成へと移り変わり、新たな時代が始まろうとしていた。消費税がスタートしたのもこの年であり、ゲームボーイやテトリスなども大流行した。

1990年 肌寒い日から始まった

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『ブラウン姉妹』がデビューした2014年、ニコラス・ニクソンは既に何十年ものキャリアを築き、写真家としてとても高い評価を受けていた。初めての展覧会を、4人のブラウン姉妹の撮影を始めた翌年1976年に、ニューヨーク近代美術館で開催している。この展覧会の監督はジョン・シャーカフスキーだった。

ニクソンの個展の前には、1970年代半ばに、ニューヨークとボストンの早朝の様子を撮影した写真が、ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で開催された展覧会『ニュー・トポグラフィックス-人間によって変貌した風景写真-』に展示された。この展示はこの10年で最も影響力のあるものだとして称賛を受けている。この写真は、ニクソンの初めての個展から14年後に撮影されたものだ。

1991年 バブル真っただ中

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人は、歳をとってくるとだんだんと家族内で顔が似てくるという話を耳にしたことがあるかもしれない。15年以上写真を撮り続けていると、その変化が良く分かるのではないだろうか。そう、ミミ、ヘザー、ローリーを区別するのに苦労する。

1991年は、日本で「お立ち台」で有名なディスコジュリアナ東京がオープンした年。また、東京ラブストーリーや101回目のプロポーズなど、ロマンティックなドラマが人々の注目を集めたバブル真っただ中な一年だったようだ。

1992年 寄り添う4姉妹

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ニコラス・ニクソンは、ブラウン姉妹の撮影を始めてから20~30年のうちに、他にも成功を収めている。1976年、1980年、そして1987年、ニクソンは全米芸術基金からフォトグラフィーフェローシップ賞を受賞したのだ。1977年と1986年には、グッゲンハイム・フェローシップ賞も受賞している。

ブラウン姉妹に加えて、ニクソンはもう1つの有名なシリーズ『人々の姿(People With AIDS)』も撮影していた。このシリーズは、しぶとい病気であるエイズと共に生きる16人の患者を8×10カメラで追ったものだ。被写体が自分の子どもやパートナー、両親と抱き合う姿を、自宅の玄関先から病院のベッドまで、体の縮みゆく様を写したものだった。

1993年 暗くなってから撮られた写真

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今までの写真のほとんどは真昼に撮ったように見えるが、これは夜にフラッシュを使って撮ったように見える。太陽が沈んだあと、彼女たちは寄り添い、少し厚手のセーターを着ている。とても素敵な一枚だ。

これまでの写真を見ても彼女たちは、うまくいけば素敵なモデルにだってなれたかもしれない。ニクソンは、この写真を撮って有名になったが、彼女たちだってこの功績に便乗して、地位を確立できたはずだ。そうしなかったのは、おそらく彼女たちのプライドだろう

1994年 ボストンの美術館には

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『人々の姿』以降、ニコラス・ニクソンは、ボストン周辺の小学生らの写真撮影を始め、1998年には写真集『学校』を出版した。写真には、子どもらが机についてふざけている姿、手で隠しながらこそこそ話をする姿、黒板の前でいら立っている姿、照れくさそうにお腹の前で腕を組む姿などが捉えられている。

また、同時期に、ニコラス・ニクソンとビビの子ども達、サムとクレメンタインの撮影もしている。この時期に撮影された写真は、ボストン美術館の『ニコラス・ニクソン-ブラウン姉妹も含む、家族のアルバム-』展で展示された。

1995年 波乱の年

1995
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ニクソンについて1つ気付いたことがある。彼は、写真を撮るとき、多くの宝石を身につけている姉妹の姿、特に結婚指輪を見せないように写真を撮っている。彼は、ベベと結婚しているにもかかわらず、写真の中では、彼女が指輪をつけているのを見たことがありません。結婚指輪はしない主義なのでしょうか。

1995年といえば、日本にとってはとても波乱の年となった。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件は、どちらもこの年だ。この年は、多くの人が悲しみに涙を流したことだろう。自然災害も、この悲惨な事件も二度と起こらないことを願うばかりだ。

1996年 コギャルブーム

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1984年に遡ってみると、ブラウンズ姉妹はニクソンの影が現れている同じような写真を撮っていることがわかる。12年後のこの写真でも同じことが起こった! ニクソンが今年再び自分自身を少し映らせることを選んだ理由と、妻のベベの顔を覆っている彼の影の関係は何か意味はあるのだろうか?

1996年は、たまごっちが大ブームとなった。また、ルーズソックスやプリクラが登場し、ギャルブームがあったのもこの年。たまごっちやプリクラが今も流行っているのは、この時代があったからこそなのだ。

1997年 ダイアナ妃の悲劇

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この写真は、姉妹がフォークバンドまたは吹きさらしの髪のポップスターのようにも見える。なぜこんな風の強いところで写真を撮ったのかは、謎だが彼女たちの力強さがよく表現されている。

この年の世界的なニュースといえば、ダイアナ妃がパリでの自動車事故で悲劇的に亡くなったことだ。姉妹がモノクロの服を着ているのは、王室のファンであり、悲しい知らせを聞いていたからだろうか。

1998年 べべがセンターに

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3人の姉妹がベベの周りを結集し、正面と中央に立って彼女を支えているように見えるのは、とても素晴だ。ミミを除いて、みんな幸せそうに見える。おそらく、ニクソンが、ミミになんか失礼なことでもいったのだろうか。

1998年、日本では長野オリンピックがあった。また、FIFAワールドカップフランス大会も開催された。そう、世界的にスポーツの祭典が盛りだくさんの一年だったのだ。

1999年 風の強い朝

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ブラウン姉妹がまたビーチに戻ってきたようだ! そう、彼らは1984年の写真で最初に訪れたビーチにもう一度戻ってきたのだ。ただし、今回は少し寒そうだ。この場所は、ブラウンズにとって、何か思い入れのあるバケーションスポットなのだろうか。

1999年は、2000年問題で国民は不安な日々を送っていた。だが、音楽業界は、だんご3兄弟や宇多田ヒカルのファーストアルバムが700万枚突破するなど、大盛り上がりだったようだ。

2000年 新たな一世紀の始まり

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新世紀を祝うために、ニクソンはビーチでの姉妹ショットに戻りました。これは、彼がこの数年で撮った写真の中でも、最も遠いアングルである。おそらくこのプロジェクトも25年が経ったので、その年月とこの距離感を表しているのかもしれません。

この年、世界の人口はついに60億人に達しったのだ!何十年もその数に近い数までは到達していたが、60憶を越えたのはこの年が初めてだったのだ。新しい数が新世紀とともに、人口の数が大台にのるのは、なんとも素晴らしい年の幕開けである。

2001年 9月11日の悲劇

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この年の9月11日は、世界的な悲劇が起こり、多くの人が混乱した年である。ニクソン自身も、この出来事は忘れられない事件として心に残っているようだが、このような時だからこそ、彼の写真撮影への手を止める事をしなかったようだ。どのような悲劇が起きても人生はまだ続いていることを示したかったようだ。

日本では、東京ディズニーシー、ユニバーサルスタジオの2つの巨大テーマパークがオープンした。また、小泉内閣が発足し、新たな風が政治界に流れたのもこの年である。

2002年 2枚の写真のギャップ

2002
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ニクソンの『ブラウン姉妹』が、ニューヨーク近代美術館でデビューしたとき、ニクソンはカメラマンとして、写真にまつわる話と1974年の写真を除外した経緯を説明した。「翌年まで、撮影した写真を作品として、あまり真剣には考えていませんでした。翌年、写真右側に写るローリーが大学を卒業した年、僕は2枚目の写真を撮影し、ふと思いつきで『同じ順番でしよう』と言ったのです。」

さらにニクソンはこう続けている。「こうしたわけで、僕の手元には2枚の写真があって、その2枚のギャップによって、これをずっと撮り続けたら面白いんじゃないかというアイディアが生まれたんです。だから彼女たちにそうしても良いかと相談しました。みんな笑って、もちろんだと答えてくれました。」

2003年 技術の進歩

2003
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今の時代には、とても珍しいことかもしれないが、ヘンリーの腰にある小さな携帯電話をみて欲しい。そう、2000年代に入り、テクノロジー技術がものすごい勢いで飛躍した。まさか、自分たちが片手ほどの大きさの電話を持って、どこでも通話ができるようになるなんて思ってもいなかったのではないだろうか。

2003年には、SMAPの世界に一つだけの花が大流行し、また韓流ブームとして、冬ソナブームが訪れた。地上デジタル放送が開始したのもこの年である。

2004年 よそ見をするローリー

2004
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ローリーは、なぜヘザーを見ているのだろうか? また、この2人が一緒に写真の真ん中に写っているのは初めてのことだ。この二人にとっては、この年、キャリア、家族、または趣味などが大きく変わった大切な年だった。

2004年は、新潟県中越地震が起こった年である。また新札が発行されたのも、この2004年である。更にゲーム界では、ニンテンドーDSやプレイステーション・ポータブルが発売された。

2005年 ローリーのよそ見再び

2005
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どうやらローリーはここ数年、姉妹のために目を光らせてるようだ。ローリーがいかに姉妹のことを一番に考え、素敵な関係性を維持してきたことがわかる。家族で会っても簡単に壊れてしまうことはある。そう、どんな関係にも努力が必要なのだ。

2005年は、愛・地球博が開催された共に、「ネットの世界」も話題になった。個人情報保護法や、ブログ、ドラマ「電車男」など、ネット界で起こることに皆が注目指示し始めたのもこの年である。

2006年 素敵な太陽の光とともに

2006
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ブラウン姉妹の許可を得て、ニコラス・ニクソンの有名なポートレート作品シリーズは続いた。ニクソンが姉妹の写真を撮り続けるモチベーションになったものに、妻ビービーの家族の温かさと愛情を何年にもわたって感じていたことが挙げられる。

「僕自身はひとりっ子なので、この家族に受け入れられたことは、とても喜ばしいし、嬉しいことでした。」ニコラス・ニクソンはこう説明している。「妻の家族は、未だに僕に愛情を注いでくれますし、支えてくれています。この(当時)30数枚の写真を見返しいると、自分の本当の姉や妹のように思えてきます。自分もいっしょに年を重ねているんだという実感があります。僕は彼女たちの一部でもあるし、彼女たちは僕の愛情の一部なのです。」こう説明するニクソンの気持ちは、ニクソンの作品を見る人たちにも伝わっている。

2007年 地球温暖化

2007
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姉妹は再び立ち位置をシャッフルしたようだ。今回は前がベベとヘザー、後ろがミミとローリーというポジションになっている。私はベベが、自身に満ち溢れた格好で素敵なブレスレット共に写真に写っている姿がお気に入りだ。

この年、日本では第1回東京マラソンが開催された。また郵政が民営化されたのも、2007年のことなのだ。また、日本の最高気温が40度を上回る40.9℃を記録した猛暑も、この年だ。この時から既に地球温暖化に拍車がかかっていたのだろう。

2008年 ニクソンの指が!

2008
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ニクソンはブラウン姉妹への感謝の意を何度も表しているが、最も感動的な発言はこれだろう。「僕には4人、お礼を言いたい人がいます。ブラウン姉妹です。

これらの写真は、僕を自分たちの人生に受け入れ、写真を撮ることを許可し、そしてその後も1年に1度、僕のわがままにずっと付き合ってくれた称賛すべき美しく強い女性たちへの好奇心から生まれたものでした。義妹であるミミ、ローリー、そしてヘザーが大好きだし、心の底から彼女たちの愛情と忍耐力に感謝しています。そして、僕の愛するビービーは親友でもあり、僕の人生の中心です。一緒にいれる事を幸運に感じていますし、感謝しています。」

2009年 仲良く平和なブラウン姉妹

2009
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2009年の写真はマサチューセッツ州トルローで撮影された。この写真には、4人のブラウン姉妹がまじめな顔をして、お互いにもたれかかっている姿が写されている。この年、姉妹に何があったのかは分からないが、困難な時期をお互いに支え合っているように見える。

『ブラウン姉妹』はニコラス・ニクソンの作品の中でも軽めの題材の1つだ。『人々の姿』に加え、ニクソンは何年も盲目の人、病気の人、老人ホームに入所する人々も追いかけてきた。ニクソンは、写真を見る人と題材をうまく繋げるように、長年にわたって被写体を記録している。

2010年 猛暑の一年

2010
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ヘザー、ミミ、ローリーが何を見ているのか、なぜベベは見ていないのかが興味深い写真ではあるが、視線の先に夫がいたと思えば、これは納得できる構図なのかもしれない。

2010年の日本では、小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還したことで、多くの人の話題を呼んだ。また、高速道路の一部無料化が始まるなど、人の行き来を国がサポートする形となった。その一方で、各地で猛暑、熱中症患者が相次ぐ暑さの厳しい年ともなった。

2011年 支えあうブラウン姉妹

2011
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『ブラウン姉妹』を鑑賞する上で興味深いことの1つに、ニコラス・ニクソンが40年以上にわたり写真家として成長する様を見ることができる点だ。ニクソンは、当初とは自身のアプローチの仕方が変わったと述べている。

ニクソンは『ザ・デイリー・ビースト』に「年を重ねるごとに『今まさにこの瞬間』という瞬間はすぐ終わってしまうように感じるので、一瞬一瞬を中途半端なものにせず、もっと充実させて生きなければと思っています。僕は『いま』にもう少しありがたみを抱けるように、より強烈で、より見る人に訴えかける力のある作品が作れるように努めています。」と語っている。ブラウン姉妹の人生のどの瞬間をとらえた写真にも、見る人にこの時の流れを考えさせる力がある。

2012年 写真の歴史にも変化が

2012
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ニコラス・ニクソンがブラウン姉妹の撮影をしている間にフォトグラフィーの世界では大きな変化があった。アナログフィルムはいつしか廃れ、フォトショップが人気となった。「フォトショップは、誰かと電話で話しながら運転するのとどこか似ています。」とニクソンは言う。「かつてはできなかったことができるようになっているのだから。」

ニクソンはフォトショップが気に入らないようで「写真の瞬間を捉えるという機能に暗雲を投げかけていますし、逆に、それが一層僕にアナログ写真の役割や存在価値、信頼性に気づかせてくれますね、最初からそうだったように。」と述べている。ニクソンにとって信頼性を生み出すということは、見る人にも親密さが伝わるポートレート作品を作り上げる上で、常に重要な要素だった。

2013年 40年もの歴史

2013
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ニクソンは『ブラウン姉妹』を「他とは異なるもの」としてとらえてきた。それは「ただ長きにわたる作品なだけでなく、僕自身の役割は協力することだったからです。家族というものについて、一緒にいるということが、どういったことなのかをはっきりさせた作品だと思っています。僕は利己的な、相手を説得するようなアーティスト気質を控え、家族の一員としての役割に集中するということ、それはカメラマン対被写体の関係ではなく、同じ目線にいる、つまり、公平でいなければならないと感じていました。

写真自体よりももっと大きなことに敬意を払っていると、やがてそれは、もっと大きな意味をもつようになります。たいていの場合、写真に写っている時間というのは明らかに短い時間なのです。」しかしながら、『ブラウン姉妹』は、ニクソンの家族の人生に40年間も関わってきたのだ。

2017年 最後の一枚

2017
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姉妹たちは、2013年から数年間写真を撮らなかったが、2017年に再会し、そこでプロジェクトの40枚目、最後の写真を撮った。伝えらえるところによると、姉妹の一人が亡くなった為、このシリーズを続けないことを彼女たちは選択したようだ。

ニコラス・ニクソンのブラウン姉妹の写真は、彼らを始めてから40年経った今でも、彼らを見る人々の心に刺激を与え、触れています。 彼らのプロジェクトは、姉妹関係、愛、そして私たち全員が人生で直面する試練の証です。 彼らの美しさを目の当たりにできたことに感謝します。